1937
均斉成長経路(の定式化とブラウワーの定理の一般化)
"A Model of General Economic Equilibrium", 1937, in K. Menger, editor,Ergebnisse eines mathematischen Kolloquiums, 1935-36. (Translated and reprinted in RES, 1945).
→ http://piketty.pse.ens.fr/files/VonNeumann1945.pdf 全9頁
ジョン・フォン=ノイマン (John von Neumann), 1903-1957
1903 年にハンガリーのブダペストで生まれる。ブダペスト大から数学の博士号と、チューリヒ大から科学の博士号を
同時に授与されてから1927年にベルリン大学の教授陣に加わる。1932年にはプリンストンに移り、
IAS
最年少会員となる。この時期、かれは純粋数学や応用数学のみならず、物理や、一部は哲学(特に量子パラドックスに関連したもの)にも重要な貢献をしてい
た。またマンハッタン計画(原爆開発)でも活発で、原子力委員会におけるトルーマン大統領の顧問の一人だった。後に並列処理とネットワークに関する業績を
あげて、「現代コンピュータの父」の称号を受ける。ニコラス・
カルドア が後に書くように「かれはわたしが出会った中でまちがいなく天才にいちばん近い存在だ」
驚異的にクリエイティブだった数学者ジョン・フォン=ノイマンは、戦後経済理論においてかなり重要な役割を果たした。その貢献は2つある。一つは1937 年の
多セクター成長モデル についての論文と、1944 年の著書 (オスカール・
モルゲンシュテルン と共著) の
ゲーム理論 と
不確実性 についての理論だ。
ジョン・フォン=ノイマンの有名な 1937 年論文は、最初は有名な「
ウィーン学団」の支援を受けて書かれたもので、フォン=ノイマンが
ヴィクセル と
カッセル を読んだ成果となっている。この論文は「数理経済学における史上最高の論文」 (E. Roy Weintraub, 1983) と呼ばれた。それは
森嶋道夫 が後に、一般均衡と資本、成長理論における「フォン=ノイマン革命」と呼んだものを産みだした。この1937年論文では、「数理経済学」再興のための新手法というすぐわかるもの以外にも、いくつか重要な概念が導入されていた。かれがもたらしたのは、(1)
「活動分析」生産集合 ("activity
analysis" production sets) の概念を持ち込み、これは後に
クープマンス や新ワルラス派によって大いに活用される; (2) 再生産の線形システム。これは後に
レオンティエフ や
スラッファ、
新リカード派 が活用して発展させる; (3) 価格-費用と需要-供給の不一致。これはワルラスの方程式体系に対する
ウィーン派の批判
への説明となっていた; (4)
ブラウアーの固定点理論(の一般化)、後に角谷の固定点定理として知られるようになるものを初めて使って、均衡の存在を証明; (5)
ミニマックスとマックスミン解法と、サドルポイント特徴付け (saddelpoint characterizations); (6) early
statements of duality theorems of mathematical
programming and complementary slackness conditions; (7) a novel manner
of incorporating
fixed and circulating capital via joint production; (8) the elucidation
of the
concept of "balanced" or "steady-state" growth - これは後に
ハロッド や
ソロー,
ヒックス 及びその後の成長モデルすべてがとびついた; (8) 「黄金律」の導出 - 金利は資本量よりは成長率と相関していることを示し、
アレー と
「最適成長理論」 や
クープマンス,
ラドナーたちの turnpike theorems の先駆けとなった。
ジョン・フォン=ノイマンが1944 年にオスカール・
モルゲンシュテルン と共著した『ゲームと経済行動の理論』は 20 世紀社会科学の記念碑的存在となった。
ゲーム理論 という領域を一気に作り出したのみならず (かれはこれを有名な 1928 年の論文で始めていた) この本は経済学の他の分野で使われる重要な要素を他にももたらしている。たとえば効用理論そのものの公理化 (後に
アロー や
ドブリュー などが追求したもの) や
不確実性の下での選択の公理化、つまり期待効用仮説の定式化がそれにあたる。
http://cruel.org/econthought/profiles/neumann.html
ジョン・フォン=ノイマンの主要 (経済関連) 著作
- "Zur Theorie der Gessellshaftspiele", Mathematische Annalen 1928.
- "A Model of General Economic Equilibrium", 1937, in K. Menger, editor,Ergebnisse
eines mathematischen Kolloquiums, 1935-36. (Translated and reprinted in RES,
1945). → http://piketty.pse.ens.fr/files/VonNeumann1945.pdf
- Theory of Games and Economic Behavior, with O. Morgenstern,
1944.
- "A Communications on the Borel Notes", 1953, Econometrica
- "Solutions of Games by Differential Equations", with G.W. Brown, 1953, in Kuhn
and Tucker, editors, Contributions to Theory of Games, Vol. I.
- "Two Variants of Poker" with D.B. Gillies and J.P. Mayberry, 1953, in Kuhn and
Tucker, editors, Contributions to Theory of Games, Vol. I.
- "A Numerical Method to Determine Optimum Strategy", 1954, Naval Research
Logistics Quarterly
- The Computer and the Brain, 1958
フォン=ノイマンについてのリソース
- HET ページ: 安定状態成長 (Steady-State Growth), フォン=ノイマン体系, ゲーム理論, フォン=ノイマン-モルゲンシュテルン期待効用仮説
- The Works of John
von Neumann ny Adam Brandenburger and Elizabeth Steinat (at
Co-opetition)
- "Sraffa and von
Neumann" by H. Kurz and N. Salvadori
- John von Neumann biography at
Vermont.
- John
von Neumann and von Neumann Architecture for Computers
- von
Neumann at MacTutor Mathematics Archive
- More Biographies: (1), (2), (3), (4).
- The John von
Neumann Theory Prize of the Institute for Operations Research and
Management Science
- S. Ulam, "John von Neumann, 1903-1957", Bulletin of the AMS, 1958.
- O. Morgenstern "Collaborating with von Neumann", JEL, 1976.
- M. Dore, S. Chakravarty and R.M.Goodwin, editors, John von Neumann and Modern
Economics, 1989.
- von Neumann Page at Laura Forgette
- von Neumann
Page at Britannica.com
1937
均斉成長経路(の定式化とブラウワーの定理の一般化)
"A Model of General
Economic Equilibrium", 1937, in K. Menger, editor,Ergebnisse eines
mathematischen Kolloquiums, 1935-36. (Translated and reprinted in RES,
1945).
→
http://piketty.pse.ens.fr/files/VonNeumann1945.pdf
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/academic.html
08年7月29日 立命館大学経済学会セミナー(28日)番外編報告レジュメ
吉原直毅著『労働搾取の厚生理論序説』について
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フォン・ノイマンが1937年に発表した経済成長モデル。新古典派成長モデルの基となったラムゼイのモデルが1部門の経済成長モデルであるのに対し、各種の財の生産、投資がなされる現実の経済に即したモデルの構築が行われた。
多部門モデルは、第二次世界大戦後、サミュエルソン、森嶋らの努力によって改良が加えられた。サミュエルソンの見出した
ターンパイク定理はとりわけ有名な発見である。
________
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・フォン・ノイマン
経済学
https://ja.wikipedia.org/wiki/不動点
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8B%95%E7%82%B9
数学において
写像の
不動点(ふどうてん)あるいは
固定点(こていてん、
英語:
fixed point, fixpoint)とは、その
写像によって自分自身に写される点のことである。
http://mathsoc.jp/publication/tushin/1101/nishimura.pdf
『経済学と数学』
京都大学経済研究所
西村和雄
数学者の貢献
経済学者には,数学や工学から転向してきた人が数多くいる.イギリス人で 20 世紀初頭を代表す
る数学者兼哲学者であるラムゼー(
1903-30)は,数学基礎
論,確率論,哲学のみならず,経済学の
分野でも論文を発表し,26 才の若さでこの世を去った.ラムゼーの死後 2 ヵ月後に発表された
Economic Journal において,ケインズが,ラムゼーの才能と論文の重要さに賛辞を述べている.ラム
ゼーの論文は,その後の経済成長と財政学の分野の発展に大きな影響を与えた.
やはり,20 世紀を代表する数学者フォン・ノイマン(1903-57)は,経済学者モルゲンシュテルン
(1902-77)と共にゲームの理論を開発しているが,同時に,経済成長の多部門モデルにおける斉一成長経路の存在証明の論文を書いて,その後の経済学に大きな影響を与えていった.
...
ノイマンは,1932 年にプリンストンの高等研究所の数学のセミナーで,数理経済学の講演をしたこ
とがあった.1936 年,ウイーン大学の数学者カール・メンガー(Karl Menger)に依頼され,ノイマンは,
ウィーンでの研究会で経済学の講演をする予定であった.ヨーロッパには行ったノイマンは,実際は,
ウイーンには寄らず,ドイツ語の論文をパリからメンガーに送っただけであったが,その論文は,1937
年に出版されたカール・メンガーのセミナーの講演集の中に含まれることになった.
カール・メンガーの父は,ウイーン大学の経済学教授をしていたカール・メンガー(Carl Menger)
である.
経済学における限界革命は,スイスのレオン・ワルラス(1834-1910),イギリスのウィリアム・ジェボ
ンズ(1835-82),オーストリアのカール・メンガー(1840-1921)によって,1870 年代に行われた,限
界効用を基礎とする理論の発展のことである.限界効用は数学的には,偏微分と対応している.
ウイーン大学には,1895 年に設立され,マッハ,ボルツマン,シュリックと引き継がれた哲学の講
座があり,その内容は,哲学でも次第に自然科学に
近づいていった.1928 年に,数学,物理,哲学,
経済学など,広い分野のメンバーが,マッハ協会を設立し,ウイーン学団を結成した.その思想が論
理実証主義である.中には,統計学者のワルドや経済学者のモルゲンシュテルンもいた.ワルドは,
経済の方程式体系に非負解があることを証明し,モルゲンシュテルンは,1944 年にノイマンとの共
著で『ゲーム理論と経済行動』を発表した.ちなみに,1938 年にオーストリアは,ナチスドイツに併合
され,モルゲンシュテルンやメンガーは,ウイーンを去って,アメリカに渡った.
1932 年にプリンストンで講演をし,1936 年にメンガーに送ったドイツ語の論文は,1945年に英訳されて,「一般経済均衡モデル」という名で,経済学の学術誌レビュー・オブ・エコノミック・スタディーズ
に掲載された.
ノイマンの論文は,1928年のミニマックス定理の論文と同様,線形計画法,非線形計画法の発展の基礎となった.ノイマンの結果を整理し直すなら,線形計画法の鞍点定理となる.また,ノイマンの論文の中では,関数ではなく,対応について不動点が存在することをブラウアの不動点定理を用いて証明している.これは,今日,角谷の不動点定理として知られている結果である.ノイマンの論文
には,一般均衡というタイトルがつけられているが,それまでの静学的な一般均衡モデルを動学化しているという点で,画期的であった.ノイマンのこの論文は経済の生産技術面から,斉一成長経路と,
最大成長率の存在を証明している.この論文と,変分法を用いて社会的厚生の最大化条件を導出したラムゼーの論文が,その後の経済動学理論の発展に対する基礎を与えたのである.
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2011-09-06
アロー=デブリュー破れたり?![](http://s.hatena.ne.jp/images/add.gif)
TripleCrisisという
ブログで、アロー=
デブリューを初めとする
不動点定理(角谷のものにせよ、ブラウワーのものにせよ)を用いた均衡の証明は
経済的な意味を持たない、という主張がなされている(
Economist’s View経由)。書いたのは
アレハンドロ・
ナダル(Alejandro Nadal)という
メキシコ人
経済学者(
cf.近著)で、その
ブログエントリは
この共著論文の内容紹介になっている。
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20110906/what_if_equilibrium_never_existed
経済成長論入門序章 経済成長論とは何か?宮 崎 耕 一
ノイマンは資本というものをマクロ的にひとつにまとめて捉える,という考え方をとらず,消費される財と形式上区別しないで定式化した。彼は生産過程を,沢山のステップに分けて,各々の生産ステップは,その活動レベル1単位当り,多くの種類の財の量から成る束(たば)(ベクトル)(これを「財の量の束(たば)」と呼ぶことにしよう)を,別の財の量の束に変換する,と仮定した。ひとつの生産ステップは,その活動レベル1単位当り,生産活動の前と後の財の量の束のペアから成る,と定式化される。沢山の生産ステップの構成要因となっている沢山の「財の量の束」を構成する諸財の中に,フォン・ノイマンは,消費される財だけでなく,生産設備,機械類,道具類,部品,原材料,半製品,仕しかかり掛品その他,いわゆる資本財ないし生産財に属すといわれる諸財も含めた。これらの資本財ないし生産財を含む生産ステップにおいては,労働の作用によって,それら資本財が変形または変換される。たとえば,ある機械は,労働によって生産に用いられることによって,多少,磨耗して,より古い機械に変形または変換される。その同じ生産ステップでは,原材料が,変形,変換されて,半製品に姿を変える。別の生産ステップでは,半製品が完成品に変形,変換される。しかし,変形・変換されるというのは,原材料から半製品,半製品から完成品,と言う変形・変換だけでなく,生産設備や機械類や道具が,生産過程の中で変形・変換されるということをも含む,というわけだ。
このように,変形・変換される財の範囲を生産財ないし資本財にまで拡張して,諸財を包括的に捉え,しかもひとつの集計値にまとめて扱うことを回避しながら,それら包括的な諸財全体が,一定の成長率で増加を続けていく,という描像を,数学的に描くことに成功したのが,フォン・ノイマンモデルの功績だった。
このような,包括的に捉えられた諸財の一定率における成長の過程においては,それら諸財のうち,ひとつひとつの財が,まったく同率で増加していく,と考えられる。
フォン・ノイマンモデルは,資本の集計量や生産物の集計量という,高度に抽象的な概念を用いずに,経済成長の過程を分析できるということを示したので,そのユニークかつ有意味な着想が今日でも高く評価されているだけでなく,森嶋道夫のような,資本の集計量という概念に強い疑念を持つ経済学者に,高く評価され,より洗練された経済成長モデルに改良された。
経済成長論入門序章 経済成長論とは何か?宮 崎 耕 一
第7章 フォン・ノイマンの経済成長モデル
日本の経済学者で国際的に有名な人としては,宇沢弘文とならんで森嶋道夫(故人)がいる。森嶋は経済成長に関する,有名な数学者フォン・ノイマンの論文[11]の着想を踏まえて,経済成長論を発展させた(1969年刊の書物[12]を見よ)。ここで,そのフォン・ノイマンの着想について簡単に説明しておこう。
ノイマンは資本というものをマクロ的にひとつにまとめて捉える,という考え方をとらず,消費される財と形式上区別しないで定式化した。彼は生産過程を,沢山のステップに分けて,各々の生産ステップは,その活動レベル1単位当り,多くの種類の財の量から成る束たば(ベクトル)(これを「財の量の束たば」と呼ぶことにしよう)を,別の財の量の束に変換する,と仮定した。ひとつの生産ステップは,その活動レベル1単位当り,生産活動の前と後の財の量の束のペアから成る,と定式化される。沢山の生産ステップの構成要因となっている沢山の「財の量の束」を構成する諸財の中に,フォン・ノイマンは,消費される財だけでなく,生産設備,機械類,道具類,部品,原材料,半製品,仕掛(しかかり)品その他,いわゆる資本財ないし生産財に属すといわれる諸財も含めた。これらの資本財ないし生産財を含む生産ステップにおいては,労働の作用によって,それら資本財が変形または変換される。たとえば,ある機械は,労働によって生産に用いられることによって,多少,磨耗して,より古い機械に変形または変換される。その同じ生産ステップでは,原材料が,変形,変換されて,半製品に姿を変える。別の生産ステップでは,半製品が完成品に変形,変換される。しかし,変形・変換されるというのは,原材料から半製品,半製品から完成品,と言う変形・変換だけでなく,生産設備や機械類や道具が,生産過程の中で変形・変換されるということをも含む,というわけだ。
このように,変形・変換される財の範囲を生産財ないし資本財にまで拡張して,諸財を包括的に捉え,しかもひとつの集計値にまとめて扱うことを回避しながら,それら包括的な諸財全体が,一定の成長率で増加を続けていく,という描像を,数学的に描くことに成功したのが,フォン・ノイマンモデルの功績だった。
このような,包括的に捉えられた諸財の一定率における成長の過程においては,それら諸財のうち,ひとつひとつの財が,まったく同率で増加していく,と考えられる。
フォン・ノイマンモデルは,資本の集計量や生産物の集計量という,高度に抽象的な概念を用いずに,経済成長の過程を分析できるということを示したので,そのユニークかつ有意味な着想が今日でも高く評価されているだけでなく,森嶋道夫のような,資本の集計量という概念に強い疑念を持つ経済学者に,高く評価され,より洗練された経済成長モデルに改良された。(資本の集計可能性に関する論争については,専門雑誌Quarterly Journal of Economicsの,森嶋の1966年論文[13]の掲載されたのと同じ号の特集を参照せよ。)
結 語
経済成長論は,戦前にケインズによって創始されたマクロ経済学のマクロ的貯蓄とマクロ的投資に関する概念に立脚して,戦後に創始され,微分方程式論などの比較的高度の数学の巧みな援用によって,発展してきた。その経済成長理論は,工業社会の生産規模や生産技術が年々増加していくという現実的現象を,科学的,数学的,計量的(実証的)に分析するという目的のために用いられてきており,経済学の中の重要な一部分をなすまでに発展してきた。
[11]John von Neumann, “A Model of of General Equilibirium,” 1945-46, The Review of Economic Studies (Translation of an original paper in German by J. von Neumann, 1936)[12]Michio Morishima, “Theory of Economic Growth,” 1969, Oxford University Press.[13]Michio Morishima, “Refutation of the Nonreswitching Theorem,” 1966, The Quarterly Journal of Economics.
著者名等 森嶋通夫/著
出版者 岩波書店
出版年 2005.3
大きさ等 22cm 404p
注記 Theory of economic growth./の翻訳
NDC分類 330.8
件名 経済学
要旨 さまざまな成長理論を動学的なフォン・ノイマン・モデルの上に統合し、多部門一般均衡
成長理論の数理的な枠組を拡張した画期的な業績。森嶋経済学はこれ以降新古典派経済学
に別れを告げることとなる。
目次
ほか);
半直線;ヒックス=マランヴォー軌道;規範的特性));
大化:第一ターンパイク定理;消費者の選択による振動 ほか);
(可変的な人口とマルサス的貧困の回避;代替アプローチ:修正と精緻化 ほか)
内容 様々な成長理論を動学的なフォン・ノイマン・モデルの上に統合し、多部門一般均衡成長
理論の数理的な枠組を拡張した画期的な業績。これ以降新古典派経済学に別れを告げる後
期森嶋経済学の出発点。本邦初訳。