http://www.freeassociations.org/
フーコーが生命政治について論じはじめたのは、一九六三年の『臨床医学の誕生』からである。フーコーの関心は、医療における倫理的問題の解決ではなく、そのような主題に顕著に出現してくる権力の働きを暴露することにあった。
精神:
つぎにベルクソンであるが、かれは、『創造的進化』(一九〇七年)において、生物の進化と、生物によって知覚される宇宙像の相互性について論じた。…植物には植物の、動物には動物の、そしてまた、本能には本能の、知性には知性の働きがある。どちらが優れているということはない。それゆえ、真理を捉えるものとしての知性のみが優位にあるということではないとベルクソンは主張する。
フェルディナン・ド・ソシュール(一八五七~一九一三)は、歴史言語学派を改革しようとした少壮文法学派のひとりであったが、やがてその関心は、ラングの歴史をも説明することのできるような言語(フランス語では「ランガージュ」)の本質へと向かっていった。
情報:
デリダは、サールとの論争において、オースティンが述べた、言葉の真の行為と演劇などでの「ふり」の行為の区別を問題にした(『有限責任会社』)。
暴力:
ドゥルーズとガタリは、「無意識しか存在しない」、「無意識は何も表象しない」、「われわれが意識だと思い、さらに主体だと思う経験は、その無意識の単なる効果(生産物)にすぎない」と主張するのである。
船木亨 『現代思想史入門』 -
http://unnamable.hateblo.jp/entry/20160418/1460909462
現代思想史キーワード年表
はじめに
今日を読み解く思想/近代の行きづまり/ツリーからリゾームヘ/現代思想の諸地層
序章 現代とは何か
1 近代の終わり
ソーカル事件/思想の難解さ/宴のあと
2 現代のはじまり
時代としての〈いま〉/一九世紀なかばの生活/歴史のなかに入っていく哲学/シェリー夫人の「フランケンシュタイン」/われわれのなかの怪物
第1章 生命――進化論から生命政治まで
1 進化論
生物学と自然科学/ドリーシュの「生気論」/ダーウィンの「進化論」/哲学から科学が独立する/ヘッケルの「系統樹」
2 優生学
優生思想/ゴールトンの「優生学」/タブーとなった優生学/出生前診断
3 公民権運動と生命倫理
アメリカ公民権運動/フェミニズム/生命倫理/生命倫理のその後
4 生命政治
医療のアンチ・ヒューマニズム/フーコーの「ビオ-ポリティーク」/人口政策/大病院の起源/臨床医学の病気観/政策と産業のための医療/病人の側から見た病院/予防医学/生と統計/死と生/病気における苦痛/フーコーの「狂気の歴史」/健康な精神なるもの/排除と治療
5 トリアージ社会
知と権力の結合/ベンタムの「パノプティコン」/アガンベンの「剥きだしの生」/生命の数/統計的判断の不条理/道徳の終焉/国家と健康/神なき文化的妄信
第2章 精神――宇宙における人間
1 進化論の哲学
スペンサーの「文明進化論」/ジェイムズの「プラグマティズム」/ベルクソンの「創造的進化」/ホワイトヘッドの「有機的哲学」/ビッグバン仮説/宇宙進化論/宇宙と神/歴史は進化の普遍的登記簿に
2 西欧の危機
シュペングラーの「西洋の没落」/フッサールの「西欧的なもの」/新たな哲学へ
3 生の哲学
存在と生/ディルタイの「解釈学」/ギュイヨーの「生の強度」/ニーチェの「ニヒリズム」/神の死
4 人間学
シェーラーの「宇宙における人間の地位」/文化人類学/レヴィ=ストロースの「構造人類学」/野生の思考/哲学的人間学
5 実存主義とは何だったのか
有神論と無神論/サルトルの「実存主義」/ハイデガーの「アンチ・ヒューマニズム」/存在論的差異/死に向かう存在/存在と言葉/存在か無か/〈わたし〉と〈もの〉/メルロ=ポンティの「両義性の哲学」/進化と宗教
第3章 歴史――構造主義史観へ
1 歴史の歴史
古代・中世・近代/歴史の概念/ヘーゲルの「歴史哲学」/ポパーの「歴史主義の貧困」/宇宙の歴史と歴史学/ナチュラルヒストリー/存在したもの/普遍的登記簿/歴史とポストモダン
2 現代哲学
哲学の終焉のはじまり/哲学の四つの道/哲学という思想/生か意識か/現象学/フッサールの「現象学的反省」/時間性/ベルクソンの「純粋持続」/ドゥルーズの「差異の哲学」/現代哲学の終焉
3 論理実証主義
心理学と心霊学/フレーゲの「意味と意義」/ウィトゲンシュタインの「語り得ないもの」/英米系哲学
4 構造主義
歴史言語学派/ソシュールの「差異の体系」/構造主義の出発/構造主義の三つの課題/ロラン・バルトの「エクリチュール」/構造主義的批評/フーコーの「エピステーメー」/構造主義的歴史/フーコー学
5 象徴から言語へ
メルロ=ポンティの「生の歴史」/象徴と記号/フーコーの「人間の終焉」
第4章 情報――ポストモダンと人間のゆくえ
1 ポストモダニズム
建築のポストモダン/メルロ=ポンティの「スタイル」/ベンヤミンの「アウラ」/芸術のポストモダン/文学のポストモダン/近代文学/映画のポストモダン
2 ポストモダン思想
リオタールの「ポストモダンの条件」/大きな物語/思想のポストモダン/ポスト構造主義/デリダの「脱構築」/ロゴス中心主義/デリダ=サール論争/前衛とポストモダニスト/状況なるもの/ポストモダン思想のその後
3 情報化社会論
ダニエル・ベルの「イデオロギーの終焉」/アルチュセールの「国家イデオロギー装置」/トフラーの「未来学」/ボードリヤールの「シミュラークル」/道徳と芸術のゆくえ/価値の相対化/マンフォードの「ポスト歴史的人間」
4 世界と人間とメディア
ルネサンス/世界の発見/人間の発見/時計の発明/大衆の出現とマスメディア/大衆社会論/マクルーハンの「メディアはメッセージである」/文明進歩の地理空間/帝国とグローバリゼーション/管理社会論
5 マルクス主義と進歩の終わり
文明の終わり/マルクスの「共産主義革命」/資本主義社会/共産主義社会/歴史の過剰と欠如/人間の脱人間化と世界の脱中心化/サルトルの「自由の刑」/哲学のゆくえ
第5章 暴力――マルクス主義から普遍的機会主義へ
1 革命の無意識
五月革命/ライヒの「性革命」/精神分析/フロイトの「無意識」/エディプス・コンプレックス/精神分析のその後/ラカンの「鏡像段階」/構造化された無意識/どのような意味で構造主義か
2 フランクフルト学派
ベンヤミンの「暴力論」/神的暴力/亡命ユダヤ人思想家たち/アドルノとホルクハイマーの「啓蒙の弁証法」/フロムの「自由からの逃走」/マルクーゼの「人間の解放」/資本主義からの逃走
3 アンチ・オイディプス
ドゥルーズとガタリの「欲望する機会」/狂人たち/無意識は表象しない/国家/野生と野蛮/資本主義社会/メルロ=ポンティの「現象的身体」/マルクスの「非有機的肉体」/フロイトの「死の衝動」/アルトーの「器官なき身体」/ドゥルーズとガタリの「千のプラトー」/自由から逃走へ
4 ポスト・ヒューマニズム
現代フランス思想/ニーチェの「神の影」/機械と人間/カフカの「エクリチュール機械」/自然と文化の二元論/機械としての人間/カンギレムの「生命と人間の連続史観」/機械一元論哲学/ドゥルーズとガタリの「普遍的機会主義」
5 機械と人間のハイブリッド
ハラウェイの「サイボーグ宣言」/女性/人間はみな畸形である/ハラウェイの「有機的身体のアナロジー」/機械と生物のネットワーク/死の衝動と生の強度/生の受動性
おわりに
今日の思考/哲学の栄枯盛衰/非哲学の出現/現代哲学から現代思想へ/現代思想の諸断層
あとがき
事項索引
人名・書名索引
マクロ経済学の第一歩 (有斐閣ストゥディア) | 柴田 章久, 宇南山 卓 2013
https://www.amazon.co.jp/dp/4641150060/マクロ経済学の第一歩 (有斐閣ストゥディア) | 柴田 章久, 宇南山 卓 2013
https://www.amazon.co.jp/dp/4641150060/マクロ経済学 -- 入門の「一歩前」から応用まで (有斐閣ストゥディア) | 平口 良司, 稲葉 大 2015
https://www.amazon.co.jp/dp/4641150265/NAMs出版プロジェクト: バクーニン:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2016/12/blog-post_25.html(バクーニンは)極端なツリー型の秘密結社(前衛党)を作ろうとしたのである。バクーニンは「革命家の教理間答」にこう
いている。《一人一人の同志の手元には、数人の第二、第三の革命家がいるベきである。これらの革
命家は完全には革命に身を委ねていない人たちである。革命家はこれらの人々を自分の管理下にあ
共通の革命的資本のー部と見なすベきである。彼は自らの資本の分け前をつねにそこから最大の利
益を引き出すことができるよう、経済的に使わなければならぬ》。
486~7
(40)ネチャーエフはバクーニンが「革命家の教理問答」に書いた組織論を実行した。それがバクーニンの
意に反したことであれ、彼の組織論から生じたことは否定できない。一八四〇年代のロシアの社会主義運
動は、バクーニンもふくめて、フォイエルバッハの影響から始まっている。若いドストエフスキーもそこ
にコミットし、シベリア流刑に処せられたのである。彼がのちにネチャーエフ事件に触発されて『悪霊』
を書いたことはいうまでもないが、革命政治ヘの彼の洞察は、マルクス主義者ではなく、アナーキストの
運動から来ることに注意べきである。もしそれが二〇世紀のマルクス主義者の運動に妥当するのだとす
れば、それがマルクス主義だけでなく、アナーキズムにも共通する問題であったということを意味する。
アナーキストは「理性」の支配を否定する。しかし、「理性」によってしか「理性」の批判をなしえない
というパラドックスを忘れてはならない。たとえば、ベルグソンの「知性」批判も、理性による理性の批
判のー形態である。そのことが忘れられると、直観や生命の優位が端的に主張されるようになる。しかし、
それは実は、別のかたちをとった「理性の越権」にほかならないのである。たとえば、ソレルは、ベルグ
ソンにもとづいて、国家権力をーつの force 労働者ゼネストを violence と呼んだ。前者が抑圧的な知性で、後
者は生の躍動である、という。しかし、彼の理論が実を結んだのがむしろムッソリーニのファシズムにお
いてであったということは、偶然ではない。
____
NAMs出版プロジェクト: 一遍上人
http://nam-students.blogspot.jp/2016/12/blog-post_24.html@NAMs出版プロジェクト: ニーチェ:インデックス
http://nam-students.blogspot.jp/2013/04/blog-post_1686.htmlNAMs出版プロジェクト: 民俗学(人類学):インデックス
http://nam-students.blogspot.jp/2013/03/blog-post_9856.html遊行寺の踊念仏
https://youtu.be/qUdvaXtOmj0映画『一遍上人』予告編
2012/7/618:32:09
大乗は二乗・三乗あることなし。二乗・三乗は一乗に入らしめんとなり。一乗はすなはち第一義乗なり。ただこれ誓願一仏乗なり。
http://wikidharma.org/4b9399ba7bf3a
【52】 しかるに菩提心について二種あり。一つには竪、二つには横なり。
また竪についてまた二種あり。一つには竪超、二つには竪出なり。竪超・竪出は権実・顕密・大小の教に明かせり。歴劫迂回の菩提心、自力の金剛心、菩薩の大心なり。また横についてまた二種あり。一つには横超、二つには横出なり。横出とは、正雑・定散、他力のなかの自力の菩提心なり。横超とは、これすなはち願力回向の信楽、これを願作仏心といふ。願作仏心すなはちこれ横の大菩提心なり。これを横超の金剛心と名づくるなり。
http://wikidharma.org/4b93a105abf98
【73】 横超断四流といふは、横超とは、横は竪超・竪出に対す、超は迂に対し回に対するの言なり。竪超とは大乗真実の教なり。竪出とは大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教なり。横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。大願清浄の報土には品位階次をいはず。一念須臾のあひだに、すみやかに疾く無上正真道を超証す。ゆゑに横超といふなり。
http://wikidharma.org/4b93acfa2387b
【35】 おほよそ一代の教について、この界のうちにして入聖得果するを聖道門と名づく、難行道といへり。この門のなかについて、大・小、漸・頓、一乗・二乗・三乗、権・実、顕・密、竪出・竪超あり。すなはちこれ自力、利他教化地、方便権門の道路なり。
安養浄刹にして入聖証果するを浄土門と名づく、易行道といへり。この門のなかについて、横出・横超、仮・真、漸・頓、助正・雑行、雑修・専修あるなり。
正とは五種の正行なり。助とは名号を除きて以外の五種これなり。雑行とは、正助を除きて以外をことごとく雑行と名づく。これすなはち横出・漸教、定散・三福、三輩・九品、自力仮門なり。
横超とは、本願を憶念して自力の心を離る、これを横超他力と名づくるなり。これすなはち専のなかの専、頓のなかの頓、真のなかの真、乗のなかの一乗なり。これすなはち真宗なり。すでに真実行のなかに顕しをはんぬ。
http://wikidharma.org/4b936885c5865
聖道・浄土の教について、二教あり。
一には大乗の教、 二には小乗の教なり。
大乗教について、二教あり。
一には頓教、 二には漸教なり。
頓教について、また二教・二超あり。
二教とは、
一には難行聖道の実教なり。いはゆる仏心・真言・法華・華厳等の教なり。
二には易行浄土本願真実の教、『大無量寿経』等なり。
二超とは、
一には竪超 即身是仏・即身成仏等の証果なり。
二には横超 選択本願・真実報土・即得往生なり。
漸教について、また二教・二出あり。
二教とは、
一には難行道聖道権教、法相等、歴劫修行の教なり。
二には易行道浄土の要門、『無量寿仏観経』の意、定散・三福・九品の教なり。
二出とは、
一には竪出 聖道、歴劫修行の証なり。
二には横出 浄土、胎宮・辺地・懈慢の往生なり。
http://wikidharma.org/4b93a35c8a81a
三節 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。
【訳】 善人ですら往生をとげられるのだから、まして悪人が往生できないはずがありません。
「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。私がきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」(「マルコ伝」二章十七節)
PHP文庫より
◇白骨の章 葬儀や中陰の法事などでしばしば拝読される「白骨の章」は、無常観をそそる御文章としてよく知られています。今回は、この「白骨の章」について講じていただきました。『和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)』や『無常講式』など、この御文章が成り立った背景にふれるとともに、「はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり」とお示しくださった蓮如上人のおこころを、しっかりと味わわせていただきましょう。 |
ネチャーエフ「カテキズム」が読める本は? - 文学 | 【OKWAVE】
http://okwave.jp/qa/q7397770.html
『革命家の教理問答集』あるいは『革命家の教理問答書』のタイトルでバクーニン著作集5(白水社ほか)で邦訳は読めるようです。
___
38.社民党批判6.(アナーキズムとは何か?) ( 政党、団体 ) - 安岡明夫HP(yasuoka.akio@gmail.com) - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/15341856.html?__ysp=44OQ44Kv44O844OL44OzIOS6lOS6uue1hA%3D%3D「革命家は死すべく運命づけられた人間である。彼には・・感情も愛着も・・ない。・・すべての法律、・・道徳とのあらゆるきずなを絶っている。彼にとってこの世界は容赦なき敵であり、もし彼がその中で生き続けるならば、それはこの世界をより確実に破壊せんがためにほかならない」(同p.401)。
「人民の堕落は・・権利・・」「私は人民による盗奪行為を擁護する・・」(同p.355)。
「盗賊団を人民革命の武器として用い」るべきと(同p.356)。