(
ライプニッツ、
リンク:::::::::)
http://www.msz.co.jp/book/detail/01773.html
人間知性新論
NOUVEAUX ESSAIS SUR L’ENTENDEMENT HUMAIN
著者
G・W・ライプニッツ
訳者
米山優
《人間知性新論》におけるフィラレートとテオフィルの仮空の対話は、ありえなかったロックとライプニッツとの対話篇である。それは、経験論と合理論の二つの哲学的伝統の最も偉大な魂の間で交わされる対話に他ならない。
ライプニッツは、1690年に刊行されたロックの《人間知性新論》に接し、この書から深い印象を受けた。そしてこれに続く年月をその認識論との対決のために費す。かくして1703年、ロックへの批判的論拠を対話形式で展開したライプニッツの認識論にかんする最も重要な著作《人間知性新論》が、完成した。
魂はタブラ・ラサ(何も書かれていない板)ではない。魂はその本来の内容、本有的概念をもつという〈モナド論〉的に把握された魂の形而上学的考察に始まり、観念・言葉・真理・認識という主題をめぐり、ライプニッツの哲学が、自由に鮮明に語られる。そして、この書のどのページからも〈時代を絶した至高の知性人〉(ラッセル)の知性の輝きが感じとれる。
この書の影響は、カントのいわゆるコペルニクス的転回から、現代ではチョムスキーの言語理論にまで及んでいる。近代以降の人間中心の世界観に対する反省から、自然と神と人間とが微妙な調和を保っていた〈バロックの哲学者〉の精神が今よみがえる。それは、世界観全体の重心の移動の可能性すら秘めて、混迷する思想界に一つの方向を指し示すであろう。
目次
凡例
序文
I 本有的概念について
1 人間の精神の内に本有的原理があるかどうかについて
2 本有的であるような実践の原理は全く存在しないということ
3 思弁に関わる本有的原理と実践に属する本有的原理とに関する、別の考察
II 観念について
1 観念一般が論じられ、人間の魂が常に思惟しているかどうかが折に触れて検討される
2 単純観念について
3 一つの感官から私たちにやってくる観念について
4 固性について
5 さまざまな感官に由来する単純観念について
6 内省に由来する単純観念について
7 感覚と内容との双方に由来する観念について
8 単純観念に関する補論
9 表象について
10 把持について
11 識別について、あるいは観念を区別する能力について
12 複雑観念について
13 単純様態について、そしてまず空間の単純様態について
14 持続について、そしてその単純様態について
15 持続と拡がりとを合わせた考察について
16 数について
17 無限について
18 他のいくつかの単純様態について
19 思惟に関する様態について
20 快苦の様態について
21 能力について、そして自由について
22 混合様態について
23 実体についての私たちの複雑観念について
24 実体の集合的観念について
25 関係について
26 原因について、結果について、そして他の幾つかの関係について
27 同一性あるいは差異性とは何であるか
28 他の諸関係について、特に道徳的関係について
29 明晰な観念と曖昧な観念、判明な観念と混雑した観念について
30 実在的観念と空想的観念について
31 完全な観念と不完全な観念
32 真なる観念と偽なる観念について
33 観念の連合について
III 言葉について
1 言葉ないし言語について
2 言葉の意味について
3 一般的な名辞について
4 単純観念の名について
5 混合様態と関係の名について
6 実体の名について
7 不変化語について
8 抽象的名辞と具体的名辞について
9 言葉の不完全性について
10 言葉の誤用について
11 今しがた述べられた不完全性と誤用とに施され得る矯正策について
IV 認識について
1 認識一般について
2 私たちの認識の程度について
3 人間的認識の範囲について
4 私たちの認識の実在性について
5 真理一般について
6 普遍的命題、その真理性と確実性について
7 公準あるいは公理と名付けられる命題について
8 取るに足らない命題について
9 私たちの現実存在について私たちが持つ認識について
10 神の存在について私たちが持つ認識について
11 他の事物の存在について私たちが持つ認識について
12 私たちの認識を増大させる手段について
13 私たちの認識についての他の考察
14 判断について
15 確からしさについて
16 同意の程度について
17 理性について
18 信仰について、理性について、そしてそれらの別個な限界について
19 狂信について
20 誤謬について
21 諸学の区分について
注
訳者あとがき
索引
追記:
ライプニッツは同じ部分を二重に足したら胴体がふたつになってしまうと
新知性論で述べている。
(第四巻 認識について 第7章 公準あるいは公理と名付けられる命題について みすず418ページ)
1+1=2? http://yojiseki.exblog.jp/7185445/
なお全体の構成はロックに従っていることがわかる。
http://fr.wikisource.org/wiki/Nouveaux_Essais_sur_l%E2%80%99entendement_humain
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Nouveaux Essais sur l’entendement humain
Gottfried Wilhelm Leibniz
Nouveaux Essais sur l’entendement humain
Ernest Flammarion, 1921.
TABLE DES MATIÈRES
Notice sur la vie et les œuvres de Leibniz 1
Historique des Nouveaux Essais 7
Avant-propos 9
LIVRE PREMIER
DES NOTIONS INNÉES
Chapitre I. S’il y a des principes innés dans l’esprit de l’homme 31
Chapitre II. Qu’il n’y a point de principes de pratique qui soient innés 50
Chapitre III. Autres considérations touchant les principes innés, tant ceux qui regardent la spéculation que ceux qui appartiennent à la pratique 62
LIVRE DEUXIÈME
DES IDÉES
Chapitre I. Où l’on traite des idées en général, et où l’on examine par occasion si l’âme de l’homme pense toujours 68
Chapitre II. Des idées simples 78
Chapitre III. Des idées qui nous viennent par un seul 79
Chapitre IV. De la solidité 80
Chapitre V. Des idées simples qui viennent par divers sens 85
— VI. Des idées simples qui viennent par réflexion 86
— VII. Des idées qui viennent par sensation et par reflexion 86
— VIII. Autres considérations sur les idées simples. 86
— IX. De la perception 90
— X. De la rétention 96
— XI. De la faculté de discerner les idées 97
— XII. Des idées complexes 101
— XIII. Des modes simples, et premièrement de ceux del’espace 102
— XIV. De la durée et de ses modes simples 108
— XV. De la durée et de l’expansion considérées ensemble 110
— XVI. Du nombre 111
— XVII. De l’infinité 113
— XVIII. De quelques autres modes simples 115
— XIX. Des modes qui regardent la pensée 116
— XX. Des modes du plaisir et de la douleur 118
— XXI. De la puissance et de la liberté 125
— XXII. Des modes mixtes 166
— XXIII. De nos idées complexes des substances 170
— XXIV. Des idées collectives des substances 179
— XXV. De la relation 170
— XXVI. De la cause et de l’effet, et de quelques autres relations 181
— XXVII. Ce que c’est qu’identité ou diversité 182
— XXVIII. De quelques autres relations, et surtout des relations morales 198
— XXIX. Des idées claires et obscures, distinctes et confuses 205
— XXX. Des idées réelles et chimériques 213
— XXXI. Des idées complètes et incomplètes 216
— XXXII. Des vraies et des fausses idées 218
— XXXIII. De l’association des idées 219
LIVRE TROISIÈME
DES MOTS
Chapitre I. Des mots ou du langage en général. 221
— II. De la signification des mots 226
— III. Des termes généraux 235
Chapitre IV. Des noms des idées simples 243
— V. Des noms des modes mixtes et des relations 248
— VI. Des noms des substances 252
— VII. Des particules 278
— VIII. Des termes abstraits et concrets 282
— IX. De l’imperfection des mots 283
— X. De l’abus des mots 289
— XI. Des remèdes qu’on peut apporter aux imperfections et aux abus dont on vient de parler 299
LIVRE QUATRIÈME
DE LA CONNAISSANCE
Chapitre I. De la connaissance en général 304
— II. Des degrés de notre connaissance 310
— III. De l’étendue de la connaissance humaine. 323
— IV. De la réalité de notre connaissance 339
— V. De la vérité en général 344
— VI. Des propositions universelles, de leur vérité et de leur certitude 346
— VII. Des propositions qu’on nomme maximes ou axiomes 334
— VIII. Des propositions frivoles 376
— IX. De la connaissance que nous avons de notre existence 381
— X. De la connaissance que nous avons de l’existence de Dieu 382
— XI. De la connaissance que nous avons de l’existence des autres choses. 391
— XII. Des moyens d’augmenter nos connaissances 396
— XIII. Autres considérations sur notre connaissance 403
— XIV. Du jugement 405
— XV. Delà probabilité 406
— XVI. Des degrés d’assentiment 408
— XVII. De la raison 424
— XVIII. Delà foi et de la raison, et de leurs bornes distinctes 445
— XIX. De l’enthousiasme 433
— XX. De l’erreur 460
— XXI. De la division des sciences 472
Supplément 479
I. Lettre de M Leibniz à M. Arnauld, docteur en Sorbonne, où il lui expose ses sentiments particuliers sur la métaphysique et la physique 481
II. Lettre sur la question si l’essence du corps consiste dans l’étendue 485
III. Extrait d’une lettre pour soutenir ce qu’il y a de lui dans le journal des Savants du 18 Juin 1691 488
IV. Sur une réforme de la philosophie première, et sur la notion de substance 490
V. De la nature en elle-même, ou de la puissance propre et des actions des créatures 493
VI. Système nouveau de la nature et de la communication les substances, aussi bien que de l’union qu’il y a entre l’âme et le corps 508
VII. Premier éclaircissement 518
VIII. Deuxième éclaircissement 520
Catégories :
Philosophie1765
参考:
http://ja.wikipedia.org/wiki/人間悟性論
ジョン・ロック(John Locke, 1632年8月29日 - 1704年10月28日)
『人間悟性論』(にんげんごせいろん、英: An Essay concerning Human Understanding)
は、1689年に出版された、イギリスの哲学者ジョン・ロックの哲学書。『人間知性論』(にんげんちせいろん)とも。
ロックは20年かけてこの著作を書き上げ、近代イギリス経験論の確立に寄与した。
目次:
導入部 : 読者への手紙、序論
第1篇: 原理(principles)や観念(ideas)は、いずれも生得的(innate)ではない
第1章 生得の理論的(推論的)原理(speculatvie principles)は無い
第2章 生得の実践的原理(practical principles)は無い
第3章 理論的(推論的)・実践的な生得原理に関する余論
第2篇: 観念(ideas)について
第1章 観念一般、及びその起源について
第2章 単純観念(simple ideas)について
第3章 単感覚(sense)の単純観念について
第4章 固性(solidity)の観念
第5章 多感覚(divers senses)の単純観念について
第6章 内省(reflection)の単純観念について
第7章 感覚・内省双方の単純観念について
第8章 感覚の単純観念に関する補論
第9章 知覚(perception)について
第10章 保持(retention)について
第11章 識別(discerning)、及びその他の心的作用について
第12章 複雑観念(complex ideas)について
第13章 単純様相(simple modes)の複雑観念 --- まず空間(space)観念の単純様相について
第14章 持続(duration)観念と、その単純様相
第15章 持続と拡張(expansion)の観念を合わせた考察
第16章 数(number)の観念
第17章 無限(infinity)について
第18章 他の単純様相
第19章 思考(thinking)の様相について
第20章 快(pleasure)と苦(pain)の様相について
第21章 力(power)について
第22章 混合様相(mixed modes)について
第23章 実体(substances)の複雑観念について
第24章 実体(substances)の集合観念(collective ideas)について
第25章 関係(relation)について
第26章 原因(cause)と効果(effect)、他の関係について
第27章 同一性(identity)と多様性(diversity)について
第28章 他の関係について
第29章 明瞭(clear)・不明瞭(obscure)、明確(distinct)・混乱(confused)的な観念について
第30章 実在的(real)・空想的(fantastical)な観念について
第31章 十分(adequate)・不十分(inadequate)な観念について
第32章 真(true)・偽(false)的な観念について
第33章 観念の連合(association)について
第3篇: 言葉(words)について
第1章 言葉と言語(language)一般について
第2章 言葉の意味表示(signification)について
第3章 一般名辞(general terms)について
第4章 単純観念の名前(names)について
第5章 混合様相と関係の名前について
第6章 実体の名前について
第7章 不変化詞(particles)について
第8章 抽象的(abstract)・具体的(concrete)な名辞について
第9章 言葉の不完全性(imperfection)について
第10章 言葉の誤用(abuse)について
第11章 前途の不完全性(foregoing imperfection)と誤用の救済(remedies)について
第4篇: 知識(knowledge)と蓋然性(probability)について
第1章 知識一般について
第2章 我々の知識の程度(degrees)について
第3章 人知の範囲(extent)について
第4章 知識の真実性(reality)について
第5章 真理(truth)一般について
第6章 普遍的命題(universal propositions)、その真理と確実性(certainty)について
第7章 公準(maxims)について
第8章 無価値な命題(trifling propositions)について
第9章 存在(exstense)に関する我々の3様(threefold )の知識について
第10章 神(God)の存在に関する我々の知識について
第11章 他の事物の存在に関する我々の知識について
第12章 我々の知識の改善(improvement)について
第13章 我々の知識についての補論
第14章 判断(judgement)について
第15章 蓋然性について
第16章 同意(assent)の程度について
第17章 理性(reason)について
第18章 信仰(faith)と理性、及びそれらと区別される領域(provinces)について
第19章 狂信(enthusiasm)について
第20章 間違った同意(wrong assent)もしくは錯誤(error)について
第21章 学(sciences)の区分(division)について
日本語訳:
『人間悟性論』上下巻 加藤卯一郎訳(抄訳)、岩波書店 1940年
『人間知性論』1巻〜4巻 大槻春彦訳、岩波書店 1974年
『世界の名著 32 ロック ヒューム』(『人間知性論』) 大槻春彦訳、中央公論新社《中公バックス》 1999年
『世界の名著 27 ロック ヒューム』(『人間知性論』) 大槻春彦訳、中央公論新社 1968年
付記:
第21章 学(sciences)の区分(division)について
1自然哲学 自然学
2倫理学 道徳学
3論理学 論理学 の順
(312がヘーゲル、アリストテレス。132がカント)
ライプニッツは学問の区分の困難は、「各部分が全体を飲み込むかのような」ところにあると言っている(4:21)。
これはヘーゲルに先駆ける認識だ。
さらに、ロックとライプニッツの対比は、カントのアンチノミーの原型だ。
カントがどこまで読んだかわからないが、この二人がいなければカントはいない。
ヒュームでもなくベーコンでもなく、この二人がカントを目覚めさせた、と思う。
宇野弘蔵著作集別巻 (1974年8月16日発行 岩波書店)73〜75頁
犬・猫・人間
ーー猫は封建的であるーー
谷崎潤一郎も大体そういうふうにいっていたと思うが(1)、猫は人前では決してフザケないものである。客が来ると主
人の方は見向きもしないようなふりをして客の膝の上にあがって愛想をする。また主人の方でもさも御迷惑なものを
飼っていますといった態度でこれをつまんで障子の外に出したりする。猫をつれて散歩に出かける主人はない。勿論
猫は散歩の連れとして多少小さ過ぎるという欠点は否定出来ない。が、しかし散歩には向かないような小さなのでも
犬なら連れて歩く人かある。どうも猫には元来そういう性質が欠けているのではないかと思う。そしてそれは猫が封
建的であることの有力な論拠をなすものである。というのは散歩は資本主義の産物の一つであるからだ。わが国でも
西洋文明が入って開化するまでは二人連れで散歩というようなことはなかったらしいが、最近では諸君の御覧の通り
だ。もっとも僕は人間を猫と混同するわけではないが、最近の資本主義の発展がこういうことにも随分著しい変化を
齎らしたものだということからつい連想する。つまり最近の日本資本主義は猫文明が犬文明にかなりの程度に交替し
たものだと思われて仕方がないのだ。或る有名な西洋の学者の説によると犬が喰い余した骨を地中に埋めて置くこと
から人間は資本の蓄積を学んだということだが、犬は何といっても資本主義的である。或いはこの学者のいうように
資本主義の元祖かも知れない。犬は始めての客であるとしばらくは敵意を示し、漸くお愛想を始めても主人にジャレ
つくことを寧ろ見せびらかせる。犬はなかなかに西洋風だ。もっともこの頃は日本犬が大分もてはやされることにな
ったが、これなども日本資本主義の特殊性を示すものであろう。とにかく我が国が資本主義化して来たことを表わし
ているといってよい。犬公方なんかはその点では世に理解されなかった先覚者だったといえる。例えば映画にしても
猫が活躍するというものは少ない。芝居の方になると犬が出るとやや滑稽なものになり易い。犬に芝居がやれないと
いうのではないが、すればいわゆる犬芝居になるわけだ、大体糸にのらない。然るに蓄音機による西洋音楽は犬には
理解されるものらしい。もっともあの主人の声に聞き入っているマークは僕の余り好まないところである。あれでは
蓄音器愛好者を犬に見たてたものとしか考えられない。何とかして改めてほしいと思うが、不適当とは言えない。先
年なくなられたわが国社会主義者の巨頭堺利彦氏は猫が好きだった。これに反して山川均氏の一党は犬が好きのよう
だ。社会主義者の間にも時代の推移は免れないものと見える。堺氏の理論に何だか古風なものが残っていたのはこの
猫のせいではないかと思われる。山川氏の如きはしかし最近では鳥が随分気に入ったと見えて犬が万物の霊長だとす
れば鳥は万物の次長ぐらいにはなるといって、犬好きの荒畑寒村氏に答えている。いささか行き過ぎた文明のようで
ある。考えて見ると先年来の封建論争で最初はかなり山川君に感心して居られた大内兵衛氏はその時分までは猫を飼
っておられたようだ。その後間もなく労農派の重鎮として奮闘せられるようになったが、それはセッパードの立派な
のを飼われてからのことだ。描や犬を飼うということも馬鹿にならぬことである。向坂君の犬好きはまた大変だ、僕
等は会う度に犬の飼い方の注意を受けている。ことによると山田盛太郎君なども最近まで描を飼っていたのかも知れ
ない。われわれの連中では和田君は一時犬を飼っておられたが最近はそうでもないようだ。長谷田君の家には名犬秋
田犬がいる。服部君のところにもたしかに犬がいる。僕の処には犬も猫もいる。
(1)谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のをんな」参照。なおこの小説は全くつまらぬことに異常な努力を払ったものであるとは思
うが、猫を描いて技まさに神にちかいものがあるといってよい。漱石の『猫』の如きは猫のかいた『吾が輩は人間である』
に過ぎない。
(東北帝国大学経済学友会『経済学友会報』第二号、一九三六年一一月刊)