木曜日, 9月 06, 2012

判断力批判:メモ、付リンク

1790年 - 『判断力批判』 Kritik der Urteilskraft   (カント:インデックス、→リンク::::::
目次、(→第一批判)         
 ___________判_____断_____力_____批_____判___________
|           |         <分析@>   |     |6~9 |1~5 |
|           |           |     数学的   |     | 趣味判断|
|           |           | 量25〜|質27  |     |     |
|           |           |____崇高_____|__________|
|           |           |   23~29   |   1~22    |
|           |           |   力学的     |関係   |様相   |
|          序言           |関係28 |様相29 |10~17|18~22|   
|__________序論一(1~12)__|_____|_美学、分析論____|_____|
| (四、包摂。九、統合、構成的/統整的、   |     |    1~54         | 
|           |  分析       |30~33| 34  |           |
|           |  /総合、条件)  |     |     |           |
|           |  (上級心能力の表)|____演繹_____|  (分類51、54)|
|           |           |   30~54   |           |   
|           |           |35~42|43~54|           |    
|           |           |共通感覚 |(天才論 |           |
<規定的◯>______|___________|__40_|4650)______<◯反省的>
|           |           |         <機械的>   | 実質  |    
|           |           |      70、80|規定/反省| /62 |    
|           |    55     |           |61   | 形式  |    
|           |    (イントロ) |           |___分析論62~68|    
|           |           |           | 内的66| 機械的(究極目的、
|           |           |           |  /  | /64 原因67)
|           |           |           |相対的63| 有機的65~68
|________美学、弁証論_________|<構成的☆>___目 的 論_<☆統整的65~注72>
|     |   55~60         |     |   61~91   |     |    
|     |     |           |     |エピクロス|スピノザ80 ヒューム|
|   趣味の     |           |     |   73|85、87|   80|
|___二律背反____| 付録:方法論なし__|__弁証論69~78_|_付録:方法論79(体系)~91
56、57|     |    60     |判断力の スピノザ73|究極目的、|   信憑|
|(概念/)|     |           70二律背反|_体系など|人間84 |自由、種類|
|     |     |           |69~73|72~78|自然神学85  91 |    
|_____|_____|_______<@総合>(機械論/)総注、関係|道徳86_|_(第一序論1~12
                                 <目的論的>80

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上級心能力の表(岩波上67頁、序論九、LVIII):

心的能力の全体    認識能力    ア・プリオリな原理  適用の範囲
 認識能力       悟性      合法則性       自然
 快・不快の感情    判断力     合目的性       芸術
 欲求能力       理性      究極目的       自由


参考:
40節より
(ハンナ・アーレントがこの共通感覚論を晩年の政治学講義で重要視し、引用している。)
共通感覚とは、他のすべての人々のことを顧慮し、他者の立場に自己をおく立場のことである
(岩波文庫上232頁参照)

要するにかかる共通感覚は一種の判定能力──換言すれば、その反省において他のすべての人の表象の仕方を考えのなかで(ア・プリオリに)顧慮する能力なのである。
(岩波文庫上236頁参照)
 

参考:
共通感覚はノーマル(規範的)であり、それにもとづいて多くの凡庸な作品が作られる。共通感覚は
歴史的に変化するが、たんに連続的に変わるのではない。それを変えるのはこの共通感覚に対立しそ
こから逸脱するような諸個人ーー天才ーーである。しかし、カントはそれを趣味判断‐芸術にだけ限定
している。「学問においては、最も偉人な発見者とひたすら苦心惨憺する模倣者や学習者との相異は
結局、程度の差にすぎない。これに反して、かかる発見者と、自然によって芸術的天分を付与された
者とは種別的に異なっているのである
」(『判断力批判』上、同前)。第 47節 岩波文庫259頁
(柄谷行人定本『トランスクリティーク』66頁)

  →天才?:
   http://nam-students.blogspot.jp/2010/03/blog-post_05.html
   黒澤明&今井凌雪


「芸術は、自然においては醜く不快であるはずのものを美しく〔みごとに〕描写する(schön beschreiben)というまさにその点で優れている。復讐や病や戦禍などは〔現実には〕損傷をもたらすものであるが、それでもきわめて美しく描写することができるのであり、それどころか絵画に表象されることさえある。ただ、醜さのある種のものだけは、自然のままに表象されればすべての美的な悦びを消滅させてしまい、したがって芸術美を消滅させてしまう。それは、吐き気(Ekel)を催させるような醜さである。というのも、この吐き気という奇妙な感覚は、想像だけにもとづき、いわばそこでは対象はあたかもそれを呑みこむ〔摂取する〕よう追ってくるもののごとく表象されるのだが、それに対して私たちは力づくで(mit Gewalt)抵抗するのであって、そのために、自分の感覚のなかで対象の芸術的表象がもはや対象そのものの現実〔自然〕と区別できなくなり、そのときその芸術的表象は美しいとみなされるのが不可能になってしまうからである。」(『判断力批判』第48節)

  →参考:
   デリダ『エコノミメーシス』


趣味のアンチノミー
正命題 :趣味判断は概念に基づかない。なぜなら、もしも基づくとするならば、趣味判断について論議できる(証明によって決定できる)ことになってしまうからである。
反対命題:趣味判断は概念に基づく。なぜなら、もしも基づかないとするならば、趣味判断が異なっているにもかかわらず、趣味判断について論争する(他のひとびとがこの判断に必然的に同意することを要求する)ことすらできなくなってしまうからである。
(第56節)

判断力のアンチノミー
正命題 :物質的な物とその形式との産出は、すべて単なる機械的法則に従ってのみ可能であると判定されなければならない。
反対命題:物質的自然における所産のなかには、単なる機械的法則に従ってのみ可能であると判定され得ないものがある。
(第70節)



http://www.ibunsha.co.jp/books/0232/0232.con.html
http://www.ibunsha.co.jp/books/0233/0233.con.html

『判断力批判』(Kritik der. Urteilskraft, 1790)
目次(以文社版)
凡例
序 言
序 論
1 哲学の区分について

2 哲学一般の領域について
3 哲学の二部門を一つの全体へと結合する手段としての判断力批判について
4 アプリオリに立法的な能力としての判断力について
5 自然の形式的合目的性の原理が判断力の超越論的原理である
6 快の感情と自然の合目的性の概念との結合について
7 自然の合目的性の情感的表象について
8 自然の合目的性の論理的表象について
9 判断力による悟性の立法と理性の立法との結合について  (上級心能力の表)

第一部 情感的(美学的)判断力の批判

第一編 情感的判断力の分析論

第一章 美の分析論
質にかんする、趣味判断の第一の契機
1 趣味判断は情感的である
2 趣味判断を規定する適意は、一切の関心を欠いている
3 快適なものに対する適意は、関心と結びついている
4 善いものに対する適意は、関心と結びついている
5 種別的に異なる三種の適意の比較
趣味判断の第二の、つまりその量にかんする契機
6 美しいものは、概念を欠いたまま普遍的な適意の客観として表象されるものである
7 上述の微表による、美しいものと快適なものや善いものとの比較
8 適意の普遍性は、趣味判断において、たんに主観的として表象される
9 趣味判断においては快の感情が対象の判定に先立つのか、それとも後者が前者に先立つのかという問いの探究
趣味判断においては諸目的の関係が考慮されるが、この関係にかんする趣味判断の第三の契機
10 合目的性一般について
11 趣味判断が根拠としているのは、対象の(もしくは対象の表象様式の)合目的性の形式以外のなにものでもない
12 趣味判断はアプリオリな諸根拠に基づいている
13 純粋な趣味判断は、魅力や感動には依存していない
14 実例による説明
15 趣味判断は、完全性の概念にはまったく依存していない
16 ある対象を、ある規定された概念の条件の下で美しいと言明する趣味判断は、純粋ではない
17 美の理想について
対象に対する適意の様相にかんする、趣味判断の第四の契機
18 趣味判断の様相とはなにか
19 われわれが趣味判断に付与する主観的必然性は、条件づけられている
20 趣味判断が主張する必然性の条件は、ある共通感の理念である
21 はたして共通感は根拠をもって前提されることができるか
22 趣味判断においては、普遍的賛同の必然性が考えられるが、この必然性は、
  共通感の前提の下で客観的と表象される主観的必然性である
分析論第一章にかんする一般的な注

第二章 崇高の分析論
23 美しいものの判定能力から崇高なものの判定能力への移行
24 崇高の感情の探究の区分について
 A 数学的に=崇高なものについて
25 崇高という名称の解明
26 崇高の理念のために必要な、自然諸事物の大きさの評価について
27 崇高なものの判定における適意の質について
 B 自然の力学的に=崇高なものについて
28 勢力としての自然について
29 自然の崇高なものについての判断の様相について
情感的反省的判断の開明にかんする一般的な注

純粋な情感的判断の演繹
30 自然の対象についての情感的判断の演繹は、われわれが自然において崇高とよぶものにむけられる必要はなく、美しいものにのみむけられればよい
31 趣味判断の演繹の方法について
32 趣味判断の第一の特有性
33 趣味判断の第二の特有性
34 趣味のいかなる客観的原理も可能ではない
35 趣味の原理は判断力一般の主観的原理である
36 趣味判断の演繹という課題について
37 ある対象についての趣味判断において、いったいなにがアプリオリに主張されるのか
38 趣味判断の演繹
39 感覚の伝達可能性について
40 一種の共通感としての趣味について  
41 美しいものに対する経験的関心について
42 美しいものに対する知性的関心について
43 技術一般について
44 美術について
45 美術は、それが同時に自然であるように見える限りでの技術である
46 美術は天才の技術である
47 天才についての上述の解明の説明と立証  
48 天才と趣味との連関について
49 天才を形成する心の諸能力について
50 美術の産物における趣味と天才との結合について
51 諸美術の区分について
52 同一の産物における諸美術の結合について
53 諸美術相互の間での情感的価値の比較
54 注

第二編 情感的判断力の弁証論
55

56 趣味の二律背反の提示  
57 趣味の二律背反の解決
     注一
     注二
58 情感的判断力の唯一の原理としての、自然ならびに芸術の合目的性の観念論について
59 道徳性の象徴としての実について
60 付録 趣味の方法論について  

訳注者あとがき
索 引
目次
凡 例

第二部 目的論的判断力の批判
61 自然の客観的合目的性について

第一編 目的論的判断力の分析論
62 実質的な客観的合目的性とは区別される、たんに形式的な客観的合目的性について
63 内的合目的性から区別される、自然の相対的合目的性について
64 自然諸目的としての諸事物の特有な性格について
65 自然諸目的としての諸事物は、有機的諸存在者である
66 有機的諸存在者における内的合目的性の判定の原理について
67 諸目的の体系としての自然一般の目的論的判定の原理について
68 自然学の内的原理としての目的論の原理について

第二編 目的論的判断力の弁証論
69 判断力の二律背反とはなにか
70 この二律背反の提示  
71 上述の二律背反を解決するための準備
72 自然の合目的性についてのさまざまな体系について
73 上述のどの体系もそれが称えていることを成し遂げていない
74 自然の技巧という概念を教説的に扱うことが不可能である理由は、自然目的というものが解明不可能であることにある
75 自然の客観的合目的性の概念は、反省的判断力のための理性の批判的原理である
76 注
77 自然目的という概念がわれわれに可能となるのは、人間の悟性の特有性によるが、その特有性について
78 物質の普遍的機構の原理と、自然の技巧における目的論的原理との結合について

付録 目的論的判断力の方法論
79 目的論は自然学に属するものとして扱われなければならないか
80 自然目的としてのある事物の解明において、機構の原理が目的論的原理に必然的に従属することについて
81 自然産物としてのある自然目的の解明において、目的論的原理に機構が添えられることについて
82 有機的諸存在者の外的連関における目的論的体系について
83 目的論的体系としての自然の最終目的について
84 世界の現存の、すなわち創造そのものの究極目的について
85 自然神学について
86 倫理神学について
87 神の現存の道徳的証明について
88 道徳的証明の妥当性の制限
89 道徳的論証の効用について
90 神の現存の目的論的証明における信憑の種類について
91 実践的信仰による信憑の種類について
目的論にかんする一般的な注

付録 判断力批判『第一序論』
1 一つの体系としての哲学について
2 哲学の基礎にある、上級認識諸能力の体系について
3 人間の心のあらゆる能力の体系について
4 判断力に対する一つの体系としての経験について
5 反省的判断力について
6 それぞれ特殊な体系をなす自然諸形式の合目的性について
7 自然の技巧という理念の根拠としての、判断力の技巧について
8 判定能力の情感論について
9 目的論的判定について
10 技巧的判断力の原理の探求について
11 純粋理性批判の体系のうちに判断力批判を導入する総括論的序論
12 判断力批判の区分

訳注者あとがき
索 引


参考:
http://ja.wikipedia.org/wiki/目的論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE%E7%9A%84%E8%AB%96

    スピノザ
プルードン    ヘーゲル
 マルクス 空海 カント
 坂本龍馬    ハイデガー
     柄谷 フロイト
ドゥルーズ    老子
 アドルノ    パーソンズ
 カレツキ ゲゼル
    ライプニッツ
 スポーツ    文学
     ガンジー
     ラカン
     ニーチェ ショーペンハウアー 
      孔子

『意志と表象としての世界』:図解&目次

(→ショーペンハウアーとウィトゲンシュタインリンク::::::

「スピノザは、石がある衝撃によって空中を飛ぶとき、石に意識があれば、自分自身の意志で飛んでいるのだと考えるだろう、と言っている[書簡六十二]。わたしはこれにさらにつけ加えて、石の考えていることは正しいとだけ言っておく。」「意志と表象としての世界」第24節より

Spinoza sagt (epist. 62), daß der durch einen Stoß in die Luft fliegende Stein, wenn er Bewußtsein hätte, meinen würde, aus seinem eigenen Willen zu fliegen. Ich setze nur noch hinzu, daß der Stein Recht hätte.
Die Welt als Wille und Vorstellung §24


図解:ショーペンハウエル(『意志と表象〜』)とスピノザ『エチカ』
                               目次TOP別図図TOP
                    数学 論理 
              (表象1)     根拠律 
                2b様態 因果律 行為 
               /\
              /限\             
        完全性  /    \             
 悲しみ______小←/_2a属性__\→大_____喜び  
    \   個体化原理意志2) \    性格/   
人間 性格  /___1実体=物自体  /   自己犠牲
手や脚他)\  (共苦_/\_至 /\  /     憐憫
動物   憎しみ/ 経験/ \  第三種/認識      正義
植物     /\客観化\/_\/_\/イデア/\       ↑ 
有機体 所産的自然\/_神\____自然(能産的) \    三種類の道徳
の体液  /  延長\個体 5自由/ 認識/思惟  \    
  物体/_______(宗教4)_精神_____\観念 
=努力?(表象)客観\ 4理性  /  
   音楽        \    /
  (リズム/和声/旋律) \努力/   
   悲劇(悪意/運命/関係)\/    
   建築美術 性格      欲望    
     ↑         3感    
意志の客観性の各    (3) イデア  
   芸術
   歴史/自然学/数学

以前書いたように、ショーペンハウアー哲学は、カント(及びプラトン)よりスピノザにより親和性が高い。
スピノザは第一巻15節脚注、16節他でその演繹を、続編最終章でその楽観主義を批判され17節でその直観重視が擁護される。対ヘーゲルで複雑化するがショーペンハウアーにおけるスピノザの影響はかなり大きい。スピノザの場合は意志=知性とされており意志の地位は低い。ただし意志=コナトゥスに当ると考えれば矛盾はない。

樹頭  知性
地下茎 自我
根   意志 参照:続19章(6巻26頁)

人間(手や脚他)/動物/植物/有機体の体液/
    (20、26、27節)

三種類の道徳 参照:62−63、67、70節等
意志の客観化の諸段階 参照:52、続39
                               図TOP

または、

「意志と表象としての世界」:図解
    ______
   |      |
   |  意志  =物自体  意志=ES
   |__/\__|          宗教  、性
     /客観化
    / イデア\   
   /個体化の原理\
  /        \  
 / 表象=根拠率に従う\   知性=自我
/______|_____\ 
       |
    数学 |論理学
    ___|____
    因果律| 行為          芸術(音楽)、

                               TOP

ショーペンハウアーが本書の序論とみなしている博士論文「根拠律の四つの根について」においては表象は以下の4類に分かたれている。

1. 原因と結果の法則、あるいは「生成 (fiendi) の根拠」20節
2. 概念論理的判断、ないしは「認識 (cognoscendi) の根拠」29節
3. 先天的な時間空間、ないしは「存在 (essendi) の根拠(充足理由律)」36節
4. 行為の動機づけの法則、ないしは「行為 (agendi) の根拠」43節

参照:付録の『カント哲学の批判』及び、学位論文『根拠律の四つの根について』

参考:
以下、フロイトのショーペンハウアー評。

<先達として高名な哲人たちの名を、とりわけ偉大なショーペンハウアーの名を挙げなければならない。彼の言う無意識的な「意志」とは精神分析が魂の本能と呼んでいるものと同じである。さらにこの同じ思想家は忘れることの出来ない力強い言葉によって、いまだに過小評価を受けている的努力の意義について人間に警告したのであった。> (「精神分析に関わるある困難」(1917)、フロイト著作集人文書院第10巻 331−2頁)

以下、トーマス・マンの指摘。

<意志の心理学者としてのショーペンハウアーは、あらゆる現代心理学の父である。かれから出発して、ニーチェの 心理的ラディカリズムをこえてフロイト、およびフロイトの深層心理学を拡大して精神諸科学に適用した人たちに いたる一本のまっすぐな線が走っている。(略)ショーペンハウアーの暗い意志の王国は、フロイトが「無意識」と よび、「エス」と名づけたものとまったく同一であり、他方において、ショーペンハウアーの「知性」は、フロイト の「自我」(つまり、たましいの外界にむけられた部分)と完全に照応している。>
(トーマス・マン「ショーペンハウアー」『ショーペンハウアー全集 別巻』白水社、238−9頁。)

       __   _____      ショーペンハウアー
   意識_|__|_|_____|_    知性
  前意識_|超_|_|_自我__|//   自我及び身体
  無意識 |  | |_____//抑圧  意志、エス、魂の本能
      |  |  ____//
      |自 | |   //|
      |  | |     |
      |  | | イド  |
      |我 | |     |
      |__| |_____|
第一局所論  第 二 局 所 論 
 『夢判断』 「自我とエス」(1923)
(1900) 『続精神分析入門』(1933、
                 超自我を追加)

夢については『意志と〜』第5節で言及がある。
続編19章では自我(正編19節では身体にあたる)は意欲(意志?)と認識(知性?)との二重性をもったものとして捉えられている。

__________________

「意志と表象としての世界」:目次
Die Welt als Wille und Vorstellung
The World as Will and Representation
(参照サイト:http://panse.livedoor.biz/archives/51637523.html

ショーペンハウアー 1788-1860
Arthur Schopenhauer

<内容目次>
(「世界の名著 続10 ショーペンハウアー」による目次)、()内に正編続編の各対応章を追記した。

第一巻 表象としての世界の第一考察  
--根拠の原理に従う表象、すなわち経験と科学との客観--

第1節        (1−7→続第一部)
 世界はわたしの表象である。
第2節
 主観と客観は直かに境界を接している。
第3節
 根拠の原理の一形態としての時間。 世界は夢に似て、マーヤーのヴェールに蔽われている。
第4節
 物質とは働きであり、因果性である。 直観能力としての悟性。
第5節
 外界の実在性に関するばかげた論争。 夢と実生活との間に明確な目じるしはあるだろうか。
第6節
 身体は直接の客観である。すべての動物は悟性をもち、 動機に基づいた運動をするが、理性をもつのは人間の みである。理性を惑わすのは誤謬、悟性を惑わすのは 仮象である。とくに仮象の実例。
第7節
 われわれの哲学は主観や客観を起点とせず、表象を 起点としている。全世界の存在は最初の認識する生物 の出現に依存している。 シェリング批判、唯物論批判、フィヒテ批判。
第8節   (→続5、6)
 理性は人間に思慮を与えるとともに誤謬をもたらす。 人間と動物の相違。言葉、行動。
第9節   (→続5、6、9、10、11)
 概念の範囲と組み合わせ。論理学について。

「旅をする」という概念が別の概念の範囲に
多種多様に食い込んでいく様子
(『意志と表象としての世界 I』のなかの図)
http://books.google.co.jp/books?id=qywdvi7bRAgC&hl=ja&source=gbs_navlinks_s
Begriff des Reisens(concept of travel)
独語版図表はネット上で見つからなかった。
第10節
 理性が知と科学を基礎づける。
第11節
 感情について。
第12節  (→続7)
 理性は認識を確実にし、伝達を可能にするが、理性は悟性の直観的な活動の障害にあることがある。
第13節  (→続8)
 笑いについて。
第14節  (→続12)
 一般に科学は推論や証明ではなしに、直観的な明証を 土台にしている。
第15節  (→続17)
 数学も論理的な証明にではなく、直観的な明証に基づく。 ユークリッド批判。理性を惑わす誤謬の実例。哲学とは 世界の忠実な模写であるというベーコンの言葉。
第16節  (→続16)
 カントの実践理性への疑問。理性は善に結びつくだけで はなく悪にも結びつく。ストアの倫理学吟味。


第二巻 意志としての世界の第一考察  
--すなわち意志の客観化 --

第17節  
 事物の本質には外から近づくことはできない。すなわち 原因論的な説明の及びうる範囲。
第18節  (→続18)
 身体と意志とは一体であり、意志の認識はどこまでも 身体を媒介として行われる。
第19節  (→続19)
 身体は他のあらゆる客観と違って、表象でありかつ意志 でもあるとして二重に意識されている。
第20節  (→続20)
 人間や動物の身体は意志の現象であり、身体の活動は意志 の働きに対応している。それゆえ身体の諸器官は欲望や 性格に対応している。
第21節
 身体を介して知られている意志は、全自然の内奥の本質を 認識する鍵である。意志は物自体であり、盲目的に作用す るすべての自然力のうちに現象する。
第22節
 従来意志という概念は力という概念に包括されていたが、 われわれはこれを逆にして、自然の中のあらゆる力を 意志と考える。
第23節  (→続23)
 意志は現象の形式から自由である。意志は動物の本能、 植物の運動、無機的自然界のあらゆる力のうちに盲目的に活動している。意志の活動に動機や認識は必要で はない。
第24節
 どんなに究明しても自然の根源力は「隠れた特性」と して残り、究明不可能である。しかしわれわれの哲学 はこの根源力のうちに人間や動物の意志と同じものを 類推する。スピノザ、アウグスティヌス、オイラーの 自然観。
第25節
 意志はいかなる微小な個物の中にも分割されずに全体 として存在している。小さな一個物の研究を通じ宇宙 全体を知ることができる。意志の客観化の段階はプラトンのイデアにあたる。
第26節
 合法則的な無機的自然界から、法則を欠いた人間の個 性に至るまで、意志の客観化には段階がある。自然の 根源諸力が発動する仕方と条件は、自然法則のうちに 言いつくされるが、根源諸力そのものは、原因と結果 の鎖の外にある。マルブランシュの機会因説。
第27節  (後半→続22)
 元来意志は一つであるから、意志の現象と現象の間に も親和性や同族性が認められる。しかし意志は高い客観化を目指して努力するので、現象界はいたるところ 意志が低位のイデアを征服し、物質を奪取しようとす る闘争の場となる。有機体は半ばは死んでいるとする ヤーコブ・ベーメの説。認識は動物において個体保存 の道具として現われる。認識の出現とともに表象とし ての世界が現われ、本能の確実性は休止し、人間における理性の出現とともに、この確実性は完全に失われ る。
第28節  (→続26、27)
 意志の現象は段階系列をなし、「自然の合意」によって 無意識のうちに相互に一致し合う合目的性をそなえて いる。叡智的性格と経験的性格からの類比。意志は時 間の規定の外にあるから、時間的に早いイデアが後か ら出現する遅いイデアに自分を合わせるという自然の 先慮さえ成り立つ。自然の合目的性を証明する昆虫や 動物の本能の実例。
第29節  (→続28)
 意志はいかなる目標も限界もない。 意志は終わるところを知らぬ努力である。

第三巻 表象としての世界の第二考察  
--根拠の原理に依存しない表象、すなわちプラトンの イデア、芸術の客観--

第30節  (→続29)
 意志の客体性の各段階がプラトンのイデアにあたる。 個別の事物はイデアの模像であり、無数に存在し、た えず生滅しているが、イデアはいかなる数多性も、い かなる変化も知らない。
第31節  (→続29)
 カントとプラトンの教えの内的意味と目標とは完全に一致している。
第32節  (→続29)
 プラトンのイデアは表象の形式下にあるという一点に おいてカントの物自体と相違する。
第33節  (→続30)
 認識は通常、意志に奉仕しているが、頭が身体の上に のっている人間の場合だけ、認識が意志への奉仕から 脱却する特別の事例がありうる。
第34節  (→続30)
 永遠の形相たるイデアを認識するには、人は個体であることをやめ、ただひたすら直観し、意志を脱した純粋な認識主観であらねばならない。
第35節
 イデアのみが本質的で、現象は見せかけの夢幻的存在で しかない。それゆえ歴史や時代が究極の目的をそなえ、 計画と発展を蔵しているというような考え方はそもそも 間違いである。
第36節  (→続31、後半→続32)
 イデアを認識する方法は芸術であり、天才の業である。 天才性とは客観性であり、純粋な観照の能力である。 天才性と想像力。天才と普通人。インスピレーションに ついて。天才的な人は数学を嫌悪する。天才的な人は 怜悧ではなく、とかく無分別である。天才と狂気。 狂気の本質に関する諸考察。
第37節
 普通人は天才の眼を借りてイデアを認識する。
第38節  (→続33)
 対象がイデアにまで高められるという客観的要素と、人 間が意志をもたない純粋な認識主観にまで高められると いう主観的要素と、この二つの美的要素が同時に出現し たときにはじめてイデアは把握される。十七世紀オラン ダ絵画の静物画。ロイスダールの風景画。回想の中の 個物の直観。光はもっとも喜ばしいものであり、直観的 認識のための条件である。ものが水に映ったときの美しさ。
第39節
 崇高感について
第40節
 魅惑的なものについて。
第41節
 美と崇高との区別。人間がもっとも美しく、人間の本質 の顕現が芸術の最高目標であるが、いかなる事物にも、 無形なものにも、無機的なものにも、人工物にさえ美は ある。自然物と人工物のイデアに関するプラトンの見解。
第42節
 イデア把握の主観的側面から客観的側面へしだいに順を 追って、以下各芸術を検討していきたい。
第43節  (→続35)
 建築美術と水道美術について
第44節  (→続36)
 造園美術、風景画、静物画、動物画、動物彫刻について。
第45節  (→続36) 
 人間の美しさと自然の模倣について。優美さをめぐって。
第46節  (→続36)
 ラオコーン論
第47節  (→続36)
 美と優美とは彫刻の主たる対象である。
第48節  (→続36)
 歴史画について
第49節  (→続34、36)
 イデアと概念との相違。芸術家の眼の前に浮かんでいるの は概念ではなく、イデアである。不純な芸術家たちは概念 を起点とする。
第50節  (→続36)
 造形芸術における概念、すなわち寓意について。象徴、標 章について。詩文芸における寓意について。
第51節  (→続37、38)
 詩について。詩と歴史。昔の偉大な歴史家は詩人である。 伝記、ことに自伝は歴史書よりも価値がある。自伝と手紙 とではどちらが多く嘘を含んでいるか。伝記と国民史との 関係。抒情詩ないしは歌謡について。小説、叙事詩、戯曲 をめぐって。詩芸術の最高峰としての悲劇。悲劇の3つの 分類。
第52節  (→続39)
 音楽について
ラファエロ、聖女チェチリア


第四巻 意志としての世界の第二考察  
--自己認識に達したときの生きんとする意志の肯定ならび に否定--

第53節
 哲学とは行為を指図したり義務を命じたりするものではないし、歴史を語ってそれを哲学であると考えるべきもので もない。
第54節  (→続41)  
 死と生殖はともに生きんとする意志に属し、個体は滅びても全自然の意志は不滅である。現在のみが生きることの形 式であり、過去や未来は概念であり、幻影にすぎない。死の恐怖は錯覚である。
第55節  (→続47)
 人間の個々の行為、すなわち経験的性格に自由はなく、経験的性格は自由なる意志、すなわち叡智的性格によって決 定づけられている。
第56節  (→続46)
 意志は究極の目的を欠いた無限の努力であるから、すべて の生は限界を知らない苦悩である。意識が向上するに従って苦悩も増し、人間に至って苦悩は最高度に達する。
第57節  (→続46)
 人間の生は苦悩と退屈の間を往復している。苦悩の量は確定されているというのに、人間は外的原因のうちに苦悩の言い逃れを見つけようとしたがる。
第58節  (→続46)
 われわれに与えられているものは欠乏や困窮だけで、幸福とは一時の満足にすぎない。幸福それ自体を描いた文学は 存在しない。最大多数の人間の一生はあわれなほど内容空虚で、気晴らしのため彼らは信仰という各種の迷信を作り出した。
第59節  (→続46)
 人間界は偶然と誤謬の国であり、個々の生涯は苦難の歴史 である。しかし神に救いを求めるのは無駄であり、地上に 救いがないというこのことこそが常態である。人間はつね に自分みずからに立ち還るよりほか仕方がない。
第60節  (→続45)   
 性行為とは生きんとする意志を個体の生死を超えて肯定す ることであり、ここではじめて個体は全自然の生命に所有 される。
第61節
 意志は自分の内面においてのみ発見され、一方自分以外の すべては表象のうちにのみある。意志と表象のこの規定か ら人間のエゴイズムの根拠が説明できる。
第62節  (→続47)
 正義と不正について。国家ならびに法の起源。刑法について。
第63節
 マーヤーのヴェールに囚われず「個体化の原理」を突き 破って見ている者は、加害者と被害者との差異を超越した ところに「永遠の正義」を見出す。それはヴェーダの ウパニシャッドの定式となった大格語 tat tvam asi ならびに輪廻の神話に通じるものがある。
第64節
 並外れた精神力をそなえた悪人と、巨大な国家的不正に 抗して刑死する反逆者と、--人間本性の二つの注目すべ き特徴。
第65節
 真、善、美という単なる言葉の背後に身を隠してはなら ないこと。善は相対概念である。
第66節
 徳は教えられるものではなく、学んで得られるものでも ない。徳の証しはひとえに行為にのみある。通例「個体化 の原理」に仕切られ、自分と他人との間には溝がある。 エゴイストの場合この溝は大きく、自発的な正義はこれか ら解放され、さらに積極的な好意、慈善、人類愛へ向かう。
第67節  (→続47)
 他人の苦しみと自分の苦しみとの同一視こそが愛である。 愛はしたがって共苦、すなわち同情である。人間が泣く のは苦痛のせいではなく、苦痛の想像力のせいである。 喪にある人が泣くのは人類の運命に対する想像力、すなわ ち同情(慈悲)である。
第68節  (→続48)
 真の認識に達した者は禁欲、苦行を通じて生きんとする 意志を否定し、内心の平安と明澄を獲得する。キリスト 教の聖徒もインドの聖者も教義においては異なるが、行 状振舞いにおいて、内的な回心において唯一同一である。 普通人は認識によってではなく、苦悩の実際経験を通じ て解脱に近づく。すべての苦悩には人を神聖にする力がある。
第69節
 意志を廃絶するのは認識によってしかなし得ず、自殺は 意志の肯定の一現象である。自殺は個別の現象を破壊す るのみで、意志の否定にはならず、真の救いから人を遠 ざける。ただし禁欲による自発的な餓死という一種特別 の例外がある。
第70節
 完全に必然性に支配されている現象界の中へ意志の自由が出現するという矛盾を解く鍵は、自由が意志から生じ るのではなしに、認識の転換に由来することにある。 キリスト教の恩寵の働きもまたここにある。アウグスティヌスからルターを経たキリスト教の純粋な精神は、 わたしの教説とも内的に一致している。
第71節
 いかなる無もなにか他のあるものとの関係において考えられる欠如的無であり、記号の交換が可能である。 意志の完全な否定に到達した人にとっては、われわれが 存在すると考えているものがじつは無であり、かの無こそじつは存在するものである。彼はいっさいの認識を超えて、主観も客観も存在しない地点に立つ。


第一版への序文
第二版への序文
第三版への序文

___________

「意志と表象としての世界」続編目次

第一部 直観的表象についての学説 (正編1-7)
 第1章 観念論的本質見解に関して  
 第2章 直観的認識、すなわち悟性の認識についての学説に関して 
 第3章 感覚について
 第4章 ア・プリオリな認識について

第二部 抽象的表象、すなわち思考についての学説
 第5章 理性を欠いた知性について   (正編8、9)
 第6章 抽象的認識、すなわち理性認識についての学説に関して  (正編8、9)
 第7章 直観的認識と抽象的認識との関係について (正編12) 
 第8章 滑稽についての理論に関して  (正編13)
 第9章 論理学一般に関して      (正編9)
第10章 三段論法に関して       (正編9)
第11章 修辞学に関して        (正編9)
第12章 学問論に関して        (正編14)
第13章 数学の方法論に関して     (正編15)
第14章 観念連合に関して  
第15章 知性の本質的不完全さについて  
第16章 理性の実践的使用とストア主義について (正編16)
第17章 人間の形而上学的欲求について     (正編15)
                 ____以上邦訳白水社版全集第5巻

第二巻の補足
第18章 物自体の認識可能性について  (正編18)
第19章 自己意識における意志の優位について  (正編19)
第20章 動物的有機体における意志の客観化   (正編20)
第21章 回顧と総括
第22章 客観的な知性観   (正編27後半)
第23章 認識をもたぬ自然における意志の客観化について (正編23)(スピノザ、コナトゥス?)
第24章 物質について  
第25章 物自体としての意志に関する超越的諸考察
第26章 目的論について     (正編28)
第27章 本能と技術衝動について (正編28)
第28章 生への意志の特性叙述  (正編29) 

第三巻の補足
第29章 イデアの認識について  (正編30ー32)
第30章 純粋な認識主観について (正編33、34)
第31章 天才について      (正編36)
第32章 狂気について      (正編36節後半)
第33章 自然美に関する断想   (正編38)
第34章 芸術の内的本質について (正編49)
第35章 建築術の美学について  (正編43)
第36章 造形芸術の美学に関する断想 (正編44ー50)
第37章 詩の美学について    (正編51)
第38章 歴史について      (正編51)
第39章 音楽の形而上学について (正編52)
                      _____以上全集第6巻

第四巻の補足
第40章 序 言
第41章 死および、死とわれわれの本質の不壊性との関係について (正編54)
第42章 種属の生命       
第43章 性質の遺伝性
第44章 性愛の形而上学
  第44章の付録
第45章 生への意志の肯定について (正編60)
第46章 人生の空虚と苦悩について (正編56ー59。『余録』2:11、12)
第47章 倫理について       (正編55、62、67) スピノザ
第48章 生への意志の否定に関する学説について  (正編68。『余録』2:14)
第49章 救いの道
第50章 哲学余話             _____以上全集第7巻

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図解:ショーペンハウエル(『意志と表象〜』)とスピノザ『エチカ』
                               目次TOP図TOP

      人間(手や脚他)(意志2)                   
      動物      1実体(=物自体)          自己犠牲
      植物  個体化原理\                 憐憫
  有機体の体液      限\                正義
=コナトゥス?    /_無限定_\               ↑      
    ____ _客観化/_2a属性__\イデア____(宗教) 三種類の道徳 
 音楽 \ 抑制(共苦)小←/\→大 完全性  至福/     
(旋律  \   /___2b様態\____\   /
 和声   \ /\悲しみ(表象1)喜び/\ /       
 リズム)  \/ 憎しみ (努力) /  \/ 数学 論理  
 悲劇    /\対象/物体_\/_観念\認識/(表象根拠律  
(関係   /所産的自然_欲望精神_(理性) 因果律 行為  
 運命 (表象)延長\ 受動3感/能動 /思惟  \能産的   
 悪意)/神_____\__(芸術3)第三種認識___\自然   
 建築美術 (表象)客観\ 4理性  /  
  ↑イデア        \    
意志の客観性の各段階    \_徳_/    
               \/ 
              5自由   
              (宗教4) 

月曜日, 9月 03, 2012

実践理性批判:付リンク

                  (カント:インデックス、→リンク::::::
1788年 - 『実践理性批判』 Kritik der praktischen Vernunft  
目次、(→第一批判(第二批判、第三批判:目次google翻訳)別ブログ:カント

 _______________践____理____性____批____判__________
|           |           |定理一、二|     |  (自由の範疇表) |
|           |       @1~8(格率)注1、    |  量  | 質 2命令
|           |         法則)三、   四(規定根拠) 1法|(概念) |
|     序     |           |___一原 則____| (善悪の)概 念、範型論
|           |           |1、演繹 |2、権能 | 3人格性|     |
|           |           自律、仮想的| ヒューム| 関係  | 様相  |
|           |           | 原因性 |     |(範型論:経験論x) |
|__________緒 論__________|_____|__分 析 論___|4義務__|
|           |           |     |     |           | 
|           |           |     |(動機) |           |
|           |           |     |     |           |
|           |           |__三動 機、解明__|           | 
|           |           (推論の順序、二律背反へ)           |
|           |           |道徳的法則=神聖性/義務           |
|           |           (解明、自由) スピノザ|           |
一_原_________理__________論|_____|_____|___________|
|           |           |                       | 
|           |           |                       |
|           |           |                       |
|           | 一理性一般の弁証論 |                       |
|           | (仮象による矛盾) |                       |
|           |道徳的法則→最高善  |                       |
|           |           |                       |
|________弁 証 論_________|        方 法 論         |
|     |     |(不死)       |        (結び:宇宙/道徳的法則   |
|     |(幸福) |           |           一般大衆と学的研究)  | 
|     |     |  (神x、不死x、 |                       | 
|二最高善の概念規定  |@4~6自由の要請O)|                       | 
|@~3 |@1~9 |@7(自然学/道徳学)|                       | 
二律背反、徳と     |@8(必要から要請) |                       |
幸福(道徳的法則、   |@9(認識と実践)  |                       | 
|感性的動機x)_幸←徳_(原因:神、自由)_(究極目的:最高善)_______________|

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または、

 ___________実____践____理____性____批____判__________
|           |           |           |  (自由の範疇表) |
|           |           |           |  量  | 質 2命令
|           |           |           |   1法|(概念) |
|     序     |           |           。(善悪の)概 念、範型論
|           |           |           | 3人格性|     |
|           |           |           | 関係  | 様相  |
|           |           |           |(範型論:経験論x) |
|__________緒 論__________|________分 析 論___|4義務__|
|           |           |定理一、二|     |     |     |
|           |       @1~8(格率)注1、    |     |(動機) |
|           |        法則)三、   四(規定根拠)    |     |
|           |           |__一。原 則____|_三。動 機、解明__|
|           |           |1、演繹 |2、権能 (推論の順序、二律背反へ)
|           |           自律、仮想的| ヒューム|道徳的法則=神聖性/義務
|           |           | 原因性 |     (解明、自由) スピノザ|
一_原_________理__________論|_____|_____|___________|
|           |           |                       |
|           |           |                       |
|           |           |                       |
|           | 一理性一般の弁証論 |                       |
|           | (仮象による矛盾) |                       |
|           |道徳的法則→最高善  |                       |
|           |           |                       |
|________弁 証 論_________|        方 法 論         |
|     |     |(不死)       |        (結び:宇宙/道徳的法則   |
|     |(幸福) |           |           一般大衆と学的研究)  |
|     |     |  (神x、不死x、 |                       |
|二最高善の概念規定  |@4~6自由の要請O)|                       | 
|@~3 |@1~9 |@7(自然学/道徳学)|                       | 
二律背反、徳と     |@8(必要から要請) |                       |
幸福(道徳的法則、   |@9(認識と実践)  |                       | 
|感性的動機x)_幸←徳_(原因:神、自由)_(究極目的:最高善)_______________|

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第七節 純粋実践理性の根本法則

「君の意志の格律が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ。 」 (岩波文庫72頁)


図:道徳性の原理における実践的・実質的規定根拠(実質的原理、改変)

   客観的     主観的   
  _______________            
 |       |\      |       
 |  完全性  | \自然的感情|       
内|(ヴォルフ  |(エピクロス)|
 |及びストア派)|   \   |       
的|       |道徳的感情  |       
 |       |(ハチスン) |       
 |______ |______\| 
 |       |\      |       
外| 神の意志  | \  教育 |       
 |(クルージウス|(モンテーニュ)        
的|その他の   |社会組織   |       
 | 神学道徳者)|(マンドヴィル)                    
 |       |     \ |      
 |_______|______\|


                        _教育(モンテーニュによれば)
                   _外的_|_社会組織(マンドヴィルによれば)
             _主観的_|    
            |     |_内的___自然的感情(エピクロスによれば)
道徳性の原理における  |          |_道徳的感情(ハチスンによれば)
実践的・実質的規定根拠_|      _外的___完 全 性(ヴォルフ及びストア派
            |_客観的_|            によれば)
                  |_内的___神の意志(クルージウス、およびその他の
                              神学的道徳論者たちによれば)

                                   (岩波文庫91頁)

自由の範疇表__________________________________
|         |         |         |         |
|         |         |         |         |
|   量     |         |   質     |         |
|         |(1)格率にしたが|         |(1)作為の実践的|
|         |った主観的な個人の|         |  規則     |
|         |意思、主観的   |         | 、命令     |
|         |         |         |         |
|_________|_________|_________|_________|
|         |         |         |         |
|(2)原理にした |(3)アプリオリに|(2)      | (3)     |
| がった客観的な | 客観的かつ主観的|不作為の実践的規則|例外の実践的規則 |
|  指令、    |な自由の原理=法則| 、禁止命令   |、制限      |
|  客観的    |、客観的原理   |         |         |
|         |         |         |         |
|         |         |         |         |
|_________|_________|_________|_________|
|         |         |         |         |
|         |         |         |         |
| 関係      |(1)      | 様相      |(1)      |
|         |人格性に向けられた|         | 許可と不許可  |
|         |自由、関係    |         |(可能と不可能) |
|         |         |         |         |
|         |     (定言)|         |(蓋然的、仮言的)|
|_________|_________|_________|_技術______|
|         |         |         |         |
|         |         |         |         |
|(2)      |(3)      |(2)      |(3)      |
|人格の状態に向けら|ある人格から他の人| 義務と反義務  |完全義務と    |
|れた自由、関係  |人格に相互的に向け|(存在と非存在) | 不完全義務   |
|         |られた自由、   |         |(必然性と偶然性)|
|     (仮言)|相互関係 (選言)|(実然的、仮言的)|(確然的、定言的)|
|_________|_________|_幸福______|_道徳______|
様相の下位概念は『道徳形而上学原論』参照。

自由の判断表、カテゴリー表
量 (1) 格率にしたがった主観的な個人の意思
  (2) 原理にしたがった客観的な指令
  (3) アプリオリに客観的かつ主観的な自由の原理=法則
質 (1) 作為の実践的規則
  (2) 不作為の実践的規則
  (3) 例外の実践的規則
関係(1) 人格性に向けられた自由
  (2) 人格の状態に向けられた自由
  (3) ある人格から他の人格に相互的に向けられた自由
様相(1) 許可と不許可
  (2) 義務と反義務
  (3) 完全義務と不完全義務

実践理性のアンチノミー

「すると幸福を得ようとする欲望が、徳の格律に向かわしめる動因でなければならないか、それとも徳の格律が幸福の作用原因でなければならないか、二つのうちのいずれかである。」(岩波文庫231頁)

または(別訳)、

「それゆえ、幸福の欲求が徳の格律(格率)へとむかわせる動因であるか、あるいは徳の格律(格率)が幸福を結果とする原因であるか、いずれかにちがいない。」

道徳形而上学原論  →別頁:カント体系
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|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|__________第一章__________|___________|___________|
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|  普通の道徳から  |    哲学へ    |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|___________|___________|___________|___________|
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |   仮言的命法   |
|           |           |           |   蓋然的     |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|__________第三章__________|__________第二章__________|
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|  実践理性批判へ  |  道徳形而上学から |    仮言的命法  |   定言的命法   |
|  自由       |  自律       |    実然的    |   画然的☆    |
|           |           |           |           |
|           |           |           |           |
|___________|___________|___________|___________|

(カント自身が明言するように、批判書とは論理展開が逆である。)


「君の人格ならびにすべての他者の人格における人間性を、けっしてたんに手段としてのみ用いるのみならず、つねに同時に目的[=自由な主体]として用いるように行為せよ」
(岩波文庫103頁、定本『トランスクリティーク』181頁)

http://deztec.jp/z/dw/j/note06.html
http://d.hatena.ne.jp/rue_sea/comment?date=20120714






カントの墓にあった有名な墓碑。
 「・・・心をみたすものが2つある。それは、わが上なる星空とわが内なる道徳法則とである」と刻まれている。

「ここに二つの物がある、それはーー我々がその物を思念すること長くかつしばしばなるにつれて、常にいや増す新たな感嘆と畏敬の念とをもって我々の心を余すところなく充足する、すなわち私の上なる星をちりばめた空と私のうちなる道徳的法則である。…」(岩波文庫317頁)

„Zwei Dinge erfüllen das Gemüt mit immer neuer und zunehmender Bewunderung und Ehrfurcht, je öfter und anhaltender sich das Nachdenken damit beschäftigt: Der gestirnte Himmel über mir und das moralische Gesetz in mir.“

http://m-mikio.world.coocan.jp/kant.htm
http://www.takimo.de/lexikon/unend3.html




IMMANUEL
KANT
1724-1804

„Zwei Dinge
erfüllen das Gemüt mit
immer neuer und zuneh-
mender Bewunderung
und Ehrfurcht, je öfter
und anhaltender sich
das Nachdenken damit
beschäftigt: Der gestirn-
te Himmel über mir und
das moralische Gesetz
in mir.“


http://karussellbremser.wordpress.com/2012/09/24/der-kaukasische-kreidekreis/


『実践理性批判(Kritik der praktischen Vernunft)』

 目次(Inhaltsübersicht.)
 序言(Vorrede.)
 序論 実践理性批判の理念について(Einleitung. Von der Idee einer Kritik der praktischen Vernunft.)

第一部 純粋実践理性の原理論(Erster Theil. Elementarlehre der reinen praktischen Vernunft.)
第一編 純粋実践理性の分析論(Erstes Buch. Die Analytik der reinen praktischen Vernunft.)
 第一章 純粋実践理性の原則について(Erstes Hauptstück. Von den Grundsätzen der reinen
praktischen Vernunft.)
  第一節 定義(§1. Erklärung.)
      注(Anmerkung.)
  第二節 定理一(§2. LehrsatzⅠ.)
  第三節 定理二(§3. LehrsatzⅡ.)
      系(Folgerung.)
      注 一(Anmerkung1.)
      注 二(Anmerkung2.)
  第四節 定理三(§4. LehrsatzⅢ.)
      注(Anmerkung.)
  第五節 課題一(§5. AufgabeⅠ.)
  第六節 課題二(§6. AufgabeⅡ.)
      注(Anmerkung.)
  第七節 純粋実践理性の根本法則(§7. Grundgesetz der reinen praktischen Vernunft.)  
      注(Anmerkung.)
      系(Folgerung.)
      注(Anmerkung.)
  第八節 定理 四(§8. LehrsatzⅣ.)
      注 一(AnmerkungⅠ.)
      注 二(AnmerkungⅡ.)  
   一 純粋実践理性の原則の演繹について(Ⅰ.Von der Deduction der Grundsätze der
reinen praktischen Vernunft.)
   二 純粋理性は実践的使用において,思弁的使用においてだけでは不可能な拡張をなす権
能をもつことについて( Ⅱ . Von Befugnis der reinen Vernunft im praktischen
Gebrauche zu einer Erweiterung, die ihr im speculativen für sich nicht möglich ist.)

 第二章 純粋実践理性の対象の概念について(Von dem Begriffe eines Gegenstandes derreinen Vernunft.)  
     純粋な実践的判断力の範型論について(Von der Typik der reinen praktischen Urteilskraft)

 第三章 純粋実践理性の動機について(Von den Triebfedern der reinen praktischen Vernunft.)
     純粋実践理性の分析論の批判的解明(Kritische Beleuchtung der Analytik der reinen
praktischen Vernunft.)

第二編 純粋実践理性の弁証論(Dialektik der reinen praktischen Vernunft.)
 第一章 純粋理性一般の弁証論について(Von einer Dialektik der reinen praktischen Vernunft
überhaupt.)

 第二章 最高善の概念の規定における純粋理性の弁証論について(Von der Dialektik der
reinen Vernunft in Bestimmung des Begriffs vom höchsten Gut.)
  一 実践理性の二律背反(Ⅰ.Die Antinomie der praktischen Vernunft.)  
  二 実践理性の二律背反の批判的解消(Ⅱ.Kritische Aufhebung der Antinomie der praktischen
Vernunft.)
  三 思弁理性との結合における純粋実践理性の優位について(Ⅲ.Von dem Primat der
reinen praktischen Vernunft in ihrer Verbindung mit der speculativen.)
  四 純粋実践理性の要請としての心の不死(Ⅳ.Die Unsterblichkeit der Seele, als ein
Postulat der reinen praktischen Vernunft.)
  五 純粋実践理性の要請としての神の現存(Ⅴ.Das Dasein Gottes, als ein Postulat der
reinen praktischen Vernunft.)
  六 純粋実践理性一般の諸要請について(Ⅵ.Über die Postulate der reinen praktischen
Vernunft überhaupt.)
    七 いかにして実践的意図における純粋理性の拡張を,それとともに純粋理性認識を思弁
的にも同時に拡張しないで,考えることが可能であるか(Ⅶ.Wie eine Erweiterung
der reinen Vernunft in praktischer Absicht, ohne damit ihr Erkenntnis als speculativ
zugleich zu erweitern, zu denken möglich sei?)
  八 純粋理性の必要から生ずる信憑について(Ⅷ.Vom Fürwahrhalten aus einem
Bedürfnisse der reinen Vernunft.)
  九 人間の認識能力が人間の実践的使命に巧みに適合し調和していることについて(Ⅸ.
Von der praktischen Bestimmung des Menschen weislich angemessenen Proportion
seiner Erkenntnisvermögen.)

第二部 純粋実践理性の方法論(Methodenlehre der praktischen Vernubft.)

 結語(Beschluß.)  


→参照:http://www.lib.kitami-it.ac.jp/files/pdf/kenpo/kenpo34_1_03.pdf


参考:

「<規則に従う>ということは一つの実践である。そして、規則に従っていると信じていることは、規則に従っていることではない。だから、人は規則に<私的に>従うことができない。さもなければ、規則に従っていると信じていることが、規則に従っていることと同じことになってしまうだろうから。」

ウィトゲンシュタイン著、藤本隆志訳(1953/1976)『哲学探究』大修館書館、202節。
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/ZZT00001/CaseleResBull_22_277.pdf

ウィトゲンシュタインは直接ここでカントを批判したわけではないが、柄谷はこれをカント批判に転用している(定本トラクリ178頁)。

ボルツァーノと似たような批判だ。
カントは全体的、総合的な規則を自明視している。


リンク:

   スピノザ
プルードン    ヘーゲル
 マルクス 空海 カント
 坂本龍馬    ハイデガー
     柄谷 フロイト
ドゥルーズ    老子
 アドルノ    パーソンズ
 カレツキ ゲゼル
    ライプニッツ
 スポーツ    文学
     ガンジー
     ラカン
     ニーチェ ショーペンハウアー 
      孔子


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老子


マルクス



柄谷





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